【べらぼう】蔦重を“江戸メディア王”にした 尾美としのり「朋誠堂喜三二」の哀しき末路

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武士の退場で訪れた蔦重の転機

 生々しい内容だが、別に松平定信を批判しているわけではない。とはいえ、これが寛政の改革のもと、風紀の引き締めが謳われているなかでヒットしてしまったから、秋田藩は慌てることになった。喜三二の作品のせいで秋田藩が問題視されるようなことになってはまずいと、喜三二に筆を折らせたのである。

 その翌年には恋川春町が、蔦重のもとから『鸚鵡返文武二道』を出した。この黄表紙には「九官鳥のことば」が出てくるが、これは定信が書いた「鸚鵡言」のパロディで、「文武二道」も寛政の改革を揶揄していることはいうまでもない。

 結局、『鸚鵡返文武二道』は絶版となり、春町は定信の呼び出しを受けた。しかし、それには応じずに隠居し、間もなく死去している。主家や養父に迷惑をかけないように自死を選んだ、ともいわれている。

 こうして教養ある現職の武士が作家活動をし、洒落っ気たっぷりに風刺を効かせ、文学を豊かにした時代は終わりを告げた。彼らの力を借りて「江戸のメディア王」にのし上がった蔦重にも、大きな転機が訪れることになったのである。

香原斗志(かはら・とし)
音楽評論家・歴史評論家。神奈川県出身。早稲田大学教育学部社会科地理歴史専修卒業。著書に『カラー版 東京で見つける江戸』『教養としての日本の城』(ともに平凡社新書)。音楽、美術、建築などヨーロッパ文化にも精通し、オペラを中心としたクラシック音楽の評論活動も行っている。関連する著書に『イタリア・オペラを疑え!』(アルテスパブリッシング)など。

デイリー新潮編集部

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