警視庁を「上九一色村」大捜索に導いた「目黒公証役場事務長拉致事件」…オウム信者の関与を突き止めた「執念の捜査」全内幕

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身を挺して日本を救った

 当時、警視庁のトップ、警視総監だった井上幸彦氏は、仮谷さん事件の報告を受け「これは本気になってオウムと戦わなければならない」と思ったという(読売新聞2月23日付)。それからは副総監、刑事部長、公安部長、警備部長の「5者会議」を毎日開き、仮谷さんを生きたまま救出するための捜査方針を協議。強制捜査を3月22日に行うと決めていたところ、地下鉄サリン事件が起きた。

 そして始まった大捜索。オウムの施設「サティアン」からは、大量の薬品が発見され、大型トラックで押収される様子が連日のように報道された。後にサリンを生成していたことが分かる、いくつもの管が突き出た第7サティアンの異様な外観。捜索に入る捜査員や機動隊員が、サリンなどの毒ガスを検知するために鳥かごに入れたカナリアを持つ姿も衝撃として伝えられた。

 やっぱりサリンはオウム――この時点で多くの国民はそう思ったに違いない。そして、オウムと言えば謎の失踪を遂げていた坂本弁護士一家の事件もある。謎めいた教団に捜査のメスが入ったことで、全国民注視の大事件となったのだが、この大捜索のきっかけは「目黒公証役場事務長拉致事件」がもたらしたものだった。

 仮谷さんの長男、実さん(65)は、強制捜査が始まっても、警視庁から「仮谷さんが見つかった」との連絡が来ない中、「別の施設に隠されているのでは。まさか殺さないだろう」と思っていた。

 7月に入り、警視庁から連絡が入る。複数の幹部信者の供述をもとに「仮谷さんは亡くなり、遺体は焼かれて本栖湖に捨てられたようです」と伝えられたという。

「オウムは70トンのサリンを作り、ヘリコプターで散布する計画を持っていました。それを未然に防いだことになるのですが、仮谷さんの事件がなければ、あれほどの体制をくんだ捜索をするにはまだ時間がかかったかもしれません。仮谷さんが身を挺して日本を救ってくれたと言っても過言ではないと思います」(前出・捜査員)

【第1回は「『オウム真理教』最大拠点を捜査員2500人が一斉捜索…警視庁が『オウム捜査』に乗り出す転機となった許されざる“拉致事件”とは」歴史に残る大捜索のきっかけはどこにあったのか?】

デイリー新潮編集部

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