警視庁を「上九一色村」大捜索に導いた「目黒公証役場事務長拉致事件」…オウム信者の関与を突き止めた「執念の捜査」全内幕

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浮かび上がる容疑者

「地取り捜査とは、まず現場周辺を碁盤の目のように地区割りをします。各地区に二名ずつの捜査員を入れ、担当地区の全ての世帯、子供から大人まで、家族全員に聞き込みをさせるのです。食事をするのも、髪の毛を切るのも、全て担当地区内。これを徹底させるのです」(前出・捜査員)

 やがて、重要情報があがってきた。

「そういえば、2月28日の夕方に変な車がありました。ウチの電話番号に似ているナンバーなので覚えているんですが……」

 それは「82-12」か「32-12」のどちらかだったという。さらに、目黒駅前で連日、動態捜査をしていた捜査員が、客待ちをしているタクシーの運転手から、「目の前で事件を見た」という情報を聞きこんできた。それによると……。

「前が信号でつかえていて進まなかったので、ちょうど脇に車を停めた。拉致される光景をはっきり見たが、テレビの撮影かと思った」

 タクシー運転手への聞き込みが重視されるのは、彼らが乗務中に記載している「日報」にある。客の乗降場所と時間や料金などを記載するが、この運転手は気になったこともあり、その問題の車とナンバーなどを控えていたのだ。この結果、車は「わ」で始まるレンタカーで、ナンバーは「82-12」。色は紺色で車種まで特定できた。

「車当たり捜査の結果、レンタカー会社を割り出し、当日、車を借りていた人物Aを割り出しました。早速、署に呼んで事情を聴いたのですが、Aにはオウムとの関係がまったく浮かんでこないのです」(同)

 一方、押収した車を鑑識にかけたところ、シートに血痕があり、仮谷さんの血液型だけでなく、DNAも一致した。この車に、仮谷さんが乗っていたことは間違いない。しかし、目撃者だけでなく、親族への事情聴取からも浮かんでいる「オウムの線」が、レンタカーを借りたAからは出てこない……。

 捜査は壁にぶち当たってしまった。

 連載第1回で紹介した、大崎署警備課員による職務質問の情報が寄せられたのは、3月上旬のことだった。

 控えてあったナンバーと車種からレンタカー会社を割り出し、捜査員が向かうと、ここでも契約者は「A」となっていた。捜査員は、レンタカー会社が保管していた運行前点検表(借りる時に、業者と借りる人が一緒に車のまわりを点検し、キズやヘコミなどがないか確認して署名するもの)の任意提出を受け、鑑識に回した。

「点検表には、やはりAの署名がありましたが、書類の端に、やや不鮮明な指紋(片鱗指紋)が残っていたので採取しました。Aの指紋と照合すると、一致しないのです。ここでようやく、車を借りたのはAの名前を騙り、偽造免許証を使用した人物だと分かったのです」(同)

 そして「M」の捜査である。

 犯歴照会をかけてみると、意外な事実が浮かんできた。事件前年の1994年8月23日、JR北千住駅前で、「尾崎豊を殺したのは誰か」というビラを電柱に貼っているオウム信者の男を、千住警察署員が発見した。若者に人気のあった歌手の名前を使い、信者を獲得するための活動だったが、これは軽犯罪法違反である。

 署員はMの名前と住所を控え、顔写真を撮影した。さらに、ここで指紋も採取していたのである。この指紋のうち、薬指の指紋が運行前点検表の指紋と一致する。

 オウム真理教信者であるMが、Aという人物になりすまし、車を借りて仮谷さんを拉致した――事件はオウム信者による犯行との裏付けが取れた瞬間だった。

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