BEGIN「下積みなしでデビューしたのがコンプレックスだった」 “同期”の福山雅治との変わらぬ関係性や名曲『涙そうそう』誕生秘話も明かす

  • ブックマーク

記録と記憶で読み解く 未来へつなぐ平成・昭和ポップス BEGIN(全3回の第2回)

 この連載では、昭和から平成にかけて、たくさんの名曲を生み出してきたアーティストにインタビューを敢行。令和の今、Spotifyなどの音楽ストリーミングサービス(サブスク)で注目されている人気曲をランキング化し、各曲にまつわるエピソードを深掘りすることで、より幅広いリスナーにアーティストの魅力を伝えていく。

 今回は、デビュー35周年となる沖縄・石垣島出身の3人組、BEGINが登場。インタビュー第1弾に引き続き、メンバーの比嘉栄昇、島袋優、上地等に話を伺った。前回は、Spotify再生回数ランキング人気TOP3の「島人ぬ宝」「三線の花」「恋しくて」について尋ねた。

 インタビュー第2弾では、デビュー曲「恋しくて」のヒットから’00年のシングル「涙そうそう」で再び注目されるまでを語ってもらったが、その前に盟友・福山雅治との関係を尋ねてみた。

福山は「なんでも話せる友達」、CDセールス低迷期は「むしろ一番楽しかったかも」

 福山は、今でこそアーティスト、俳優、写真家などマルチに活躍し、NHK『紅白歌合戦』でもトリの常連となるほどの大スターだが、’90年のデビューから初のオリコンTOP10ヒットとなった「Good Night」まで、およそ2年かかっている。そのことについて福山は、

「同じデビュー日だったBEGINはオリコン4位だったのに、自分は100位内にも入らなかった」

 と、よく振り返っているが、当の本人たちはどうだったのだろうか。

比嘉「福山とは、所属事務所や通っていたリハーサルスタジオが同じということもあり、“ようやくなんでも話せる友達ができた!”と感じていました。会話を重ねる中で、すごく純粋に音楽が好きでやっているヤツだと分かって、お互い頑張ろうって思えましたね」

上地「学年も一緒(※上地は’68年6月、福山は’69年2月生まれ)だから、その関係性はずっと変わらないですね」

比嘉「福山が大きな会場でコンサートをしたり、ゴールデンタイムのドラマで主演を務めたりするようになってからも、自分の中では関係性はまったく変わらないです。ただ、ヤツの身体のことがすごく心配でした。僕らは3人で分担できるけど、彼はずっと1人で頑張っているわけですからね。でも、きっと何かあった時は連絡してくれるだろうし、そう信じあえる間柄です」

島袋「デビュー日が同じなのは多分、縁起の良い日だったからなんでしょうね。新人で3月21日ですから(笑)」

 福山への注目度がうなぎ登りになっていった時期、BEGINのほうは、「恋しくて」と、2枚のアルバム『音楽旅団』『GLIDER』がオリコンTOP10入りするものの、徐々にセールスが低迷していく。そんな中、10作目となる’96年のシングル「声のおまもりください」(Spotify第27位)は、当時流行していたPHS事業のブランド「アステル東京」のCMソングに起用され、 ♪pi pi pi pi pi pi pi~ と繰り返すサビが話題となり累計売上11万枚のヒットを記録。しかし、それ以外はメディアにもさほど登場していなかった。その頃は、精神的につらくなかったのだろうか。

比嘉「いえ、全然(笑)。僕らは、石垣島から出てきた世間知らずの田舎者で、当時はインターネットもあまり普及していなかったし、限られた情報の中で唯一やりたかったのは、ライブハウスでの演奏だったんです。デビュー曲の『恋しくて』がヒットして、すぐに大きなホールでのコンサートが決まったのですが、全く(売れたという)実感がなかった。だから、ヒットしなくなってから、僕ら3人で車を運転し、最少数のスタッフさんとライブハウスを周るようになって、最も夢に近づけたと思いました。だからむしろ、その時期が一番楽しかったかもしれない」

 BEGINのデビューアルバムでは、実力派バンド・ムーンライダーズの白井良明が編曲を手がけている。その緻密な演奏を再現するため、ホールツアーにはサポートのミュージシャンも多数入っていたようだが、その時の心境を尋ねてみると、

上地「サポートの方のすごさに圧倒されて、悔しいなんて感じていませんでしたよ(笑)。演奏のうまい方々を見てマネしたり、弾き方を尋ねたりできましたからね。僕らは、下積みもないままデビューしてしまったのがコンプレックスだったんです。だから、ライブハウスを周った時、“やっと下積みをしてるぞ!”っていう充実感で、なんだかワクワクしていましたね。全国のライブハウスで出会うオヤジさんたちに、ああだこうだとアドバイスをされていたのも楽しかった」

島袋「自分の場合は、伝説のプロデューサーであり、ギタリストでもある白井良明さんに直接教わっていました。よくレコーディング前に彼の前で弾いてみては、“バリエーションが少なすぎる、明日までに何パターンか考えてこい”っていうやり取りの繰り返しでした。でも、最終的には、“お前は、そのパターンが好きなんだな、じゃあそれで、やっていきなさい”と認めてもらえたんです。どんな曲を書いても、自分なりの要素を入れていますが、ブルースギターを突き詰めていったのは、その良明さんの一言が大きいと思いますね。それから、良明さんが40周年のアルバム(’12年『PORTRAIT OF A LEGEND 1972~2012』)を出される際、BEGINがコーラスで参加したんですが、僕はギタリストとしても呼んでもらったんです。その時はめちゃくちゃ嬉しかったですね!」

比嘉「当時の僕らは、とっても幸せでしたけれど、売れてもいないのにライブ周りを許してくれて、事務所にも本当に感謝しています」

次ページ:時代を越えて愛される「涙そうそう」、森山良子と夏川りみが歌った経緯は

前へ 1 2 3 次へ

[1/3ページ]

メールアドレス

利用規約を必ず確認の上、登録ボタンを押してください。