BEGIN「下積みなしでデビューしたのがコンプレックスだった」 “同期”の福山雅治との変わらぬ関係性や名曲『涙そうそう』誕生秘話も明かす
時代を越えて愛される「涙そうそう」、森山良子と夏川りみが歌った経緯は
そうして自分たちの路線を確立し、作詞、作曲、編曲すべてをBEGINが手がけた’98年のシングル「防波堤で見た景色」が、なんとSpotify再生回数で第8位にランクイン。ブルージーでありつつ、爽やかな雰囲気もあるのがとてもBEGINらしいのだが、当時は、オリコン最高99位に1週ランクインしたのみ。そんな隠れた存在だったこの作品が、今では上位の名曲群と並んでいるのが感慨深い。
島袋「これはリリース当初から、大阪のラジオ局・FM802でヘビーローテーションに選んでもらったこともあって、大阪のライブでは、イントロが始まっただけでワーっと盛り上がってもらえましたね。その西からの風が、徐々に広がっていったのかな? 僕らの後輩でも、この曲は毎回カラオケで歌うほど好きというヤツもいます。でも、僕らは『恋しくて』以外、あとからヒットするパターンばっかりですね(笑)」
比嘉「この曲ができあがる前、事務所のプロデューサーに、“作品作りに行き詰まっているみたいだから、気分を変えて、お前1人でニューヨークに行ってこい。歌詞ができるまで帰ってくるな”と言われて(笑)。それで行ってみたら、“石垣島から出てきた自分は、東京で暮らすのも精一杯なのに、まして海外なんて……”と、ホームシックになりまして。結局、ニューヨークじゃなく故郷のことを書いたんです。でも、結局どこに行っても自分は島の人間なんだと、ニューヨークに教えてもらいました。そんな曲が関西でじわじわと人気になったのは、ブルースが受け入れられたからだけでなく、加川良さんや友部正人さん、西岡恭蔵さんなど関西フォークが好きな方の琴線に触れたのかもしれませんね」
また、同年には「涙そうそう」の作曲を手がけ、森山良子に提供している。BEGINも’00年にセルフカバーし、(こちらはSpotiy第6位にランクイン)、’01年には夏川りみが歌い、出荷ベースにてミリオンセラーとなった。‘03年の『紅白歌合戦』では、この3組が紅組・白組の垣根を越えて「涙そうそう」で共演し、平和を象徴するようで印象深かった。
上地「森山良子さんに依頼されてから、最初はカントリーっぽい曲も書いていたのですが、決め手がなく悩んでいて。そのあと、(島袋)優が母親のことを想って作っていた原曲を出したんです」
島袋「その原曲を元にみんなでメロディーを作り、カセットテープに録音して、“涙そうそう(仮)”とラベルに書いたテープをお渡しして、良子さんが詞をつけられたんですよ」
森山は、“涙がポロポロ落ちる様子”を意味する仮タイトルを目にして、自身が早くに実兄を亡くしたエピソードが咄嗟に思い出されたという。夏川りみは、その後、BEGINとレコーディングの機会があり、『涙そうそう』を歌うことになったという。
比嘉「りみは、小さい頃から知っている可愛い存在なんです。彼女は一度、演歌歌手でデビューして苦労していたけれど、僕はボーカリストとして日本中のみんなに喜んでもらえる歌声だと信じていました。それで、再デビューした時に、彼女が『涙そうそう』を歌ったら、演歌やポップスといったジャンルの壁を外せる歌になるんじゃないかと思いましたね」
ちなみに、BEGIN版のジャケットは当初、涙があふれる様子を表すかのような、比嘉の顔のドアップだったものから、’02年に3人が竹富島を訪れたジャケットに変更され、ロングヒットとなっている。
これは、’00年から始まった企画アルバム『ビギンの島唄』シリーズにより、それまでブルースに定評のあったBEGINが、島唄でも認知された影響が大きいはずだ。Spotify再生回数ランキングでも、BEGINが手がけた新たな“島唄”として、第1位の「島人ぬ宝」、第2位の「三線の花」のほか、第4位の「オジー自慢のオリオンビール」、第10位の「竹富島で会いましょう」、第12位の「パーマ屋ゆんた」、第13位の「アンマー我慢のオリオンビール」など、大量にランクインしている。第6位の「涙そうそう」も、広義では島唄と呼べるだろう。
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