鳥山明さんはフランスでいかに愛されていたか 大統領も首相も追悼、ドラゴンボールが与えた凄すぎる影響

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 鳥山明氏の訃報はフランスにも大きな衝撃を与えました。

 メディアやファン以外からも追悼コメントが発表されています。エマニュエル・マクロン大統領は、Xに日本語とフランス語で「鳥山明と何百万もの彼の愛好家へ。」というコメントと共にサイン入りのイラストの写真をアップしました。

 今年の1月に就任したばかりのガブリエル・アタル首相は、InstagramとXに「彼(鳥山氏)は間違いなくマンガとニッポン文化をフランスにもたらした巨匠」と投稿しました。これに同調するコメントも多く寄せられ、「私たちの子供時代の一部」「悲しくてどうしていいかわからない」「青春時代に私を助けてくれた」「私たちの子供時代の一部が消え去ります! 彼は非常に偉大なアーティストで、世代を超えて影響を与え続けるでしょう」「永遠に何百万もの人々の運命を変えました。そして今日、彼は私たちを世界に残して去りました。彼は多くの命を救った偉大な人でしたが、残念ながらあまりにも早く去ってしまいました」「すべての世代が今悲しんでいます」などなど、鳥山氏の死を悼む声であふれていました。

 ラシダ・ダティ文化大臣も、鳥山氏への賛辞と題して、「彼は漫画の芸術における偉大な存在で…ドラゴンボールは少年漫画のジャンルで不可欠な作品」と文化省のサイト上で述べています。在日フランス大使館からも同様のコメントが出ていました。

 フランスでは、ドラゴンボールは日本アニメの先駆け的存在の代表的な作品で、Dr.スランプやドラゴンクエストのファンも多いです。2013年に第40回アングレーム国際漫画祭40周年記念特別賞、2019年にもフランス芸術文化勲章シュバリエを受賞している鳥山氏ですから、フランスの文化大臣からコメントが出ているのも納得です。

「ル・モンド」に寄せられた追悼の声 “私たちがもっと悟空のようだったら…”

 かねてパリでは、孫悟空のフィギュアなどのグッズ、コスチュームを色々なところで見かけます。むしろ、日本よりもドラゴンボール関連のグッズの割合は高いかもしれません。新しい漫画作品も次々とグッズ化される日本に対し、フランスではそうした動きは一部の人気漫画などに限定されるため、ブームが落ち着いてからも長く愛され続けているようです。

 フランスでは1988年からドラゴンボールがTVで放送され、爆発的にヒットしました。フランスだけで3000万(文化省は2000万と発表)部の売上があるそうです(全世界では少なくとも2億6000万部といわれています)。

 Le Monde紙のウェブサイトでは、訃報が報じられた3月8日に、鳥山氏を偲ぶオンラインチャットがオープンしました。NARUTOなどの漫画に関する著書のある2人のジャーナリストがドラゴンボールの思い出を読者に尋ねたり、質問に回答したりする企画です。40年近くドラゴンボールファンだという人などが参加していました。寄せられたコメントの一部を紹介すると、

「ドラゴンボールが教えてくれた友情と忍耐の価値観は、人生のさまざまな段階で私を導いてくれました。鳥山氏がいなくなっても、彼の作品は最後まで私を感動させ、楽しませてくれます。彼の作品とそれが私の人生に与えた影響に感謝と敬意を表します。神龍があの世でもあなたを守ってくれますように」

「私の子供時代、ドラゴンボールのイラストを目の前にしない日はおそらく幾日もなかったでしょう…。鳥山氏は想像力の巨人です。きっと私の孫やその子供たちも彼の作品に魅了されるでしょう。私たちは皆それを必要としているので…。私たちの人生を彩ってくれた思慮深い人物を亡くしたことに心からの悲しみを感じています。鳥山先生、ありがとうございました」

「スーパーサイヤ人に変身するために全力を尽くし、鏡の前でカメハメハをしていた子供の頃の自分の姿が今でも目に浮かびます。初めてのお小遣いをすべてドラゴンボールZグッズにつぎ込み、当時日本語が話せなかったにもかかわらず、日本語で漫画の最新巻を購入し、地球の裏側から来た本当の宝物を手にしました。おそらく世界中の何百万人もの人々が共有している思い出でしょうが、30年以上経った今も私にとって大切なものです」

「私にドラゴンボールの第1巻をくれたのは、特に漫画ファンではない両親でした。最初のページから孫悟空に夢中になりました。かれは無邪気さ、笑顔、明るさを持つ愛すべきキャラクターです。私は何度“超音速の雲”を呼んだり、カメハメハを試したりしたことか。学校でもドラゴンボールは大きな話題になっていた。彼が提供する感情は依然として素晴らしいものです」

「鳥山明を失ったことは、1980年代から1990年代に育った一部の子供たちをある種の郷愁に陥れた」

「印象に残っているのは、当時、漫画という文化は、恥ずべきものだと考えられていましたが…それは決してそうではなかったでしょう。私はこれらのキャラクターと一緒に育ちました」
(*筆者注、漫画の暴力表現や性的描写により、90年代には子供に読ませるべきではないなどといった議論がありました)

「私がドラゴンボールに出会ったのは10歳の時でした(今は35歳です)。文字通りこの素晴らしい世界に身を浸し、中毒になりました。今、この素晴らしい物語に夢中になっているのは大好きな私の甥と姪です」

「私にとってドラゴンボールは漫画の世界への入り口でした。今ではそれが私の情熱であり、毎月漫画に予算を割いています。この種の暴力を子供たちに見せることは悪いことではないと思います。不穏な暴力と苦しみを引き起こしたいという欲求は、多くの場合、敵対者(フリーザ)によって行われます。ヒーローたちが自らのレベルを下げることなく、正義の闘いによって暴力を乗り越えることができたということは、私にとって良いメッセージです。」

「鳥山氏という芸術家とその作品はあらゆるところに存在しているので、特に何が私や他の多くの子供たちの人生に影響を与えたのかを説明するのは難しいです」

「中学生のときにドラゴンボールの世界に足を踏み込んで以来、鳥山氏によるゲームのキャラクターとデザインは、私の人生の最高の瞬間とともにあり、今でも私とともにあります(アパートに飾ってあるフィギュアを通してだけではありません)」

「私は、『ドクタースランプ』と『ドラゴンボール』を含む、鳥山氏のいくつかの作品とともに育ちました。DBZ(ドラゴンボールゼット)の特別な思い出が甦ります。悟空が初めてスーパーサイヤ人に変身した次の日、学校中がその話題でもちきりでした。何十年経った今も、悟空の『パワーアップ』が全世代に引き起こした熱狂を覚えています。」

「鳥山氏が生み出したキャラクターは、時に私に必要な力を与えてくれます。悟空はどこまでも善良で、決して諦めず、正義のために戦います。私たちがもっと彼のようだったら、世界はもっと素敵な場所になるでしょう」

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