法廷で不利になると「今日はやめてもらいたいね~」 4人殺害の「連続強盗殺人犯」が“119回”の公判を経てたどり着いた「意外な結末」

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行方をくらませた「社長の運転手」

 昭和から平成、令和へと時代は変わっても“凶悪事件”が消えることはない。世の中を震撼させた犯人たちは、一体なぜ凶行に走ったのか――。その深い闇の一端を垣間見ることができるのは、彼らが法廷で発した肉声だ。これまで数多くの刑事裁判を傍聴してきたノンフィクションライターの高橋ユキ氏に、とりわけ印象に残った“凶悪犯の言葉”を振り返ってもらう。今回、取り上げるのは「新宿4人強殺事件」の裁判である。

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 2001年6月30日早朝、東京都新宿区のマンション一室から「キャー、助けて」という悲鳴が聞こえるのを隣人が聞いた。ドスン、ドスンと物音もしている。部屋に住んでいたのは不動産会社社長(当時72)と妻(同62)。ちょうどその頃、同社社員が社長宅に電話をかけたところ「血だらけだからすぐに来て」と訴える妻の声が聞こえ、電話が切れた。社員からの連絡を受け、110番通報した管理人が部屋に駆けつけたところ、居間のカーペットの上に血だらけで倒れている夫妻を見つけた。

 出勤直前だったのか、夫はスーツ姿で倒れていた。胸元にはふたつの刺し傷。部屋着で倒れている妻の脇腹には包丁が刺さったまま。すぐに病院に搬送されたがまもなく2人とも死亡した。管理人が駆けつけたとき、部屋の鍵は施錠されていたというが、中に入ってみるとテーブルの上に置かれたバッグや書類を物色した跡があり、犯人が合鍵を探した可能性をうかがわせた。部屋にあった銀行の封筒からは、40万円が抜き取られていた。夫の経営していた会社は過去、従業員の賃金ピンハネなどが報じられており、事件当時も複数の従業員との金銭トラブルを抱えていたが、捜査がすすむうちに、日払い契約で夫の送迎をしていた運転手の男が所在不明になっていることが判明する。送迎に使っていたワゴン車は渋谷駅近くに乗り捨てられていた。

 こうして5日後に逮捕されたのは、所在不明だった運転手の池内楯雄(当時57)。「いろいろな仕事をやらされているのに、ほかの人の半分ぐらいしか金をもらえなかった。値切られたこともあり、不満が爆発した」と供述、夫妻を殺害したことを認め、ほどなく強盗殺人罪で起訴された。

 ところが、池内が犯した罪はこれだけではなかったのである。捜査本部が池内の寝泊まりしていた公園テント内を捜索したところ、血痕のついた靴が見つかる。この靴底が別の事件現場に残されていた足跡と一致したのだ。

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