7カ月以上放置! 日本政府はなぜ中国の「不法ブイ」を撤去しないのか 「潜水艦運用に利用される」

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大飢饉と文化大革命

 そもそも、建国の立役者となった毛は、台湾問題より国内を治めることに手いっぱいだった。さかのぼって1958年から1962年にかけては、急速な経済の立て直しを企図して、いわゆる大躍進政策を推し進めたものの、非科学的な机上の空論にこだわったことから、推定で1500万~5500万人が餓死したとされる「中華人民共和国大飢饉(ききん)」を招いて大失敗に終った。

 責任を問われて権力の座を降りた毛に代わり、劉少奇が第2代の中華人民共和国主席に就任した。ところが、その後も毛は権勢を保ち続けた。毛は学生や労働者からなる紅衛兵を動員して文化大革命を引き起こし、その結果、1000万~2000万の犠牲者が出たといわれる。この時、習近平の父親の習仲勲も収監されて、習近平も地方に下放されたことは周知の通りだ。

 加えて、1950年にはチベット侵攻、いまに続くウイグル、内モンゴル等への弾圧が行われ、1962年にヒマラヤ地方を舞台としたインドとの国境紛争が、さらに1969年にはソ連との間にも国境紛争が勃発している。いわゆるダマンスキー島(中国名は珍宝島)事件である。その後、トウ小平に至っては、意に反してソ連に接近したベトナムを「懲らしめてやる」と、1979年に侵攻した。

「米中の軍事バランスの逆転」

 このように、当時の中国指導部(中南海)の目は主として内陸部に向いており、海洋への関心は見られない。米国や日本と手を結んで、緊張関係にあったソ連に対峙するという戦略環境にあり、いまとはまったく正反対である。

 1976年に毛が死去すると、実質的な後継者となったトウ小平は翌々年から1980年代にかけて「改革開放」を提唱する。政治体制は社会主義を維持するが、一方で経済は資本主義の考え方を取り入れた。

 さらに、トウ亡き後の1989年から最高指導者となった江沢民のもと、中国は2001年にWTO(世界貿易機関)への加盟を果たした。いまではGDP(国内総生産)で日本を大きく突き放して、世界第2位の経済大国である。

 トウは経済の発展を主導するだけでなく、海軍力の増強を人民解放軍に命じもした。それこそが、数量的には米海軍を凌駕する現在の中国海軍を実現させたと言っていい。

 専門家の中には「質的には米海軍の方が上」との声もあるが、米海軍は世界のあらゆる国や地域で展開している。少なくとも台湾海峡周辺海域に限って見れば、明らかに米中の軍事バランスは中国が優勢と言わざるを得ない。米軍や米国政府が台湾問題に関して危機感を強めているのは、まさにこの軍事バランスの逆転に起因することは、改めて指摘するまでもない。

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