被災地に自ら飛び飛行機事故に… 史上最高の右翼手・クレメンテの豪快な生涯(小林信也)

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 史上最高の右翼手は誰か? 日本人なら大半が「イチロー」と答えるだろう。プエルトリコ人なら「ロベルト・クレメンテ」と叫ぶのではないか。

 クレメンテは1961年から72年まで右翼手として12年連続でゴールドグラブ賞に選ばれている。12回はウィリー・メイズと並び外野手では最多タイ記録だ。

 レーザー・ビームはイチローの代名詞だが、はるか前の時代に「ライフルアーム」と異名を取り、相手チームに恐れられた。年間最多補殺5度のMLB最多記録も持っている。「ライトに飛んだら進塁はあきらめろ」と言われたのも当然だ。

 俊足、強打、好守、強肩、こう書けばイチローと共通点は多いが、いちばんの違いはその打撃フォームだ。クレメンテは打つ形にまったくこだわらなかった。

 佐山和夫著『ヒーローの打球はどこへ飛んだか』(報知新聞社)にドジャースの入団テストを受けた時の印象が書かれている。スカウトのアル・キャンパニスが「集まった七十人の若者の中で目をつけたのはロベルト一人だった」と、次のように語っている。

〈バッター・ボックスでの彼の立ち方を見ると、どうにも外角の球が打てそうには思えない。それで私はピッチャーに命じて外角の球を投げさせたのだが、その小僧はまるで飛びつくような姿勢になりながらも打球をシャープに右にはじき返すのだ。これには目を見張った〉

打てる球は全部好球

 実際に対戦した伝説の名投手サンディ・コーファックスはこう話した。

〈私の知る限り、クレメンテこそは最も奇妙な打ち方をする男だった。

 ある予想をたてて彼に立ち向うと、きまって彼は思わぬやり方で切り返してきた。彼は力強い男で、その上、手さばきも速かった。彼の打ち方を見てごらん。ある時は前足のみで立って打つ。またある時は後足一本だ。時には両脚を地表から離して打つんだからね。誰だってそのフォームを見ればこう思ってしまう……『こいつは打てない』。ところが打つんだな〉

 希代の悪球打ちと呼ばれる一方で、「クレメンテにはそもそもストライクゾーンの概念がなかったんだ」と結論づけたライバル投手もいた。打たれた側からすれば、「クレメンテに打てる球なら全部好球」という感覚だったのだろう。

 生涯打率.317。通算240本塁打はただの悪球打ちではありえない数字だ。

 インターネットで動画を検索すると、右足を浮かせ、飛びつくようにして打つ姿を見られる。長嶋茂雄のようであり、新庄剛志のようでもある。このようなクレメンテが、ファンに愛されないわけがない。

 しかし、スーパースターに駆け上がるまでには、他のルーキー同様、長い下積みとガマンが必要だった。逸材と認められドジャースに入団したが、白人ファンへの配慮もあってか、球団はクレメンテの起用には慎重で、まずはマイナーに送った。ヒスパニック系への差別もあったのか、そこでも多くの出場機会は与えられなかった。その後、囲い込みへのペナルティー的な措置(現行のルール5ドラフト、日本でいう現役ドラフトのような制度)で55年にピッツバーグ・パイレーツに移籍。ようやく出場の機会に恵まれた。

 数年間は数字も物足りない、それなりの活躍だったが、60年に打率を3割に乗せ、以後は68年を除いて72年まで3割台と安定して打ち続けた。首位打者4回、66年にはMVPを受賞した。

 クレメンテが最も輝いたのは71年ワールドシリーズ。パイレーツはオリオールズを4勝3敗で下し、覇権を握った。第7戦で先制ホームランを放ち、優勝を引き寄せる立役者となった。打率.414、全試合でヒットを打ち、クレメンテはシリーズMVPに選ばれた。

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