「いきなり!ステーキ」を創業者・一瀬邦夫氏(81)が語る 「急に店が増えすぎて管理者も不在。僕のミスリードだった」

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「ペッパーランチ」誕生

一瀬:自分の店が4店舗になり、さらに発展させようと思っても人材がなかなか集まらない。そこで修行を積んだコックでなくても1カ月で同じ味が調理ができるようにしようと思ったんです。それで生まれたのが「ペッパーランチ」であり、フランチャイズです。

――1994年、「ペッパーランチ」の1号店が大船(神奈川県)に誕生する。翌年には社名をペッパーフードサービスとし、以後、店舗は続々と増えた。ところが、2007年、ペッパーフードと業務委託関係にあった心斎橋店(大阪府)で、店長らが女性客を拉致監禁した上で強盗強姦を行ったとして逮捕された事件が起こる。

一瀬:心斎橋の件とかO157(腸管出血性大腸菌)による食中毒とか色んなことがありました。そのたびに倒産しそうになったけど、なんとか乗り越えることができた。

――「ペッパーランチ」はペッパーフードサービスの主力チェーンとなったが、一瀬氏は新たな業態を思いつく。

一瀬:厚切りのステーキを、思い切りお客様に食べてもらいたい。僕は元々ホテルのコックでしょ、アメリカ人を相手に分厚いステーキを焼いていたんですよ。日本では厚切りのステーキを出す店も文化もなかったんです。当時は赤坂にもレストランを持っていて、そこでは牛肉1グラム=10円で売っていました。それを思い切って半額の1グラム=5円、それを300グラム=1500円で売ろうと考えた。安くするためには前菜もいらない、椅子もいらない。立ち食いでいきなりステーキだから、店名は「いきなり!ステーキ」に。

「いきなり!ステーキ」怒濤の出店

――13年、1号店の出店は銀座4丁目(東京・中央区)。当時、一瀬氏は71歳だった。

一瀬:行列ができてね。女性のお客さんが「私、200グラムでいい」と言うのを「ダメです。300グラムからです!」なんて強気なことを言ってね。

――「いきなり!ステーキ」は3年後には全国100店舗を達成する。17年にはステーキの本場、アメリカに進出した。

一瀬:ニューヨークのマンハッタン島のイーストィヴィレッジに1号店を出したんだけど、マンハッタンに20店舗を出す予定だった。ところが、11号店まで出したところで、1号店の売上が上がらなくなってきた。狭い区域に店を出しすぎたわけです。マンハッタンは2店で十分だった。その後はニュージャージーとかラスベガス、サンフランシスコと飛び飛びに出すべきでした。急に店が増え過ぎて、管理者も不在だった。僕のミスリードだったわけです。

――アメリカのみならず国内でも店は増え続けた。

一瀬:17年にペッパーフードサービスは東証1部に上場しました。そのパーティーで僕は「来年は200店舗、出店します!」と宣言しちゃった。パーティーのお客さんは「大丈夫?」とザワついたけれど、実際、本当に翌年は203店出店したんです。

――最終的には全国500店舗にまで膨らんだ。ところが、マンハッタンと同様、日本でも「いきなり!ステーキ」は過剰出店で、各店の売上は落ちていった。

一瀬:出し過ぎちゃったんですね。こういうバカなことをやって大変なことになってしまった。

(後編【「いきなり!ステーキ」を手放した一瀬邦夫氏(81)が両国に和牛ステーキ店を開店 本人が自ら厨房に立つ理由」】に続く)

デイリー新潮編集部

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