「いきなり!ステーキ」を創業者・一瀬邦夫氏(81)が語る 「急に店が増えすぎて管理者も不在。僕のミスリードだった」

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「ペッパーランチ」や「いきなり!ステーキ」といったステーキのレストランチェーンを立ち上げたペッパーフードサービスの創業者・一瀬邦夫氏(81)が同社を去ったのは一昨年8月。あれから1年余、彼は新たな事業をスタートさせた。昨年11月、両国(東京・墨田区)にオープンした「和牛ステーキ和邦」である。一瀬氏に意気込みやその原点を聞いた。(前後編の前編)

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――オープンした「和牛ステーキ和邦」ですが、なぜまたステーキなのでしょうか。

一瀬:僕は18歳でコックになりました。高校を卒業し、母親に連れられて街の小さなレストランに入り、その後、赤坂にあった山王ホテルで9年間、修行しました。厨房で初めて食べた分厚いステーキの美味しさが今も忘れられないんです。

――一瀬氏が当時を振り返る。

一瀬:でもね、母親から「コックになるんだったら日本で五本の指に入れるようになるんだよ」と言われていたんだけど、当時は麻雀、競馬、スキーが楽しくて仕方がなかった。

――仕事一筋じゃなかったんですか?

一瀬:だから、それを見ていた母は気が気じゃないよね、一人息子ですから。「独立しなさい!」と言われて始めたのが「キッチンくに」でした。6坪くらいの本当に小ちゃな店で、同時に結婚もして、一生懸命に働いた。キッチンだから海老フライもあるしハンバーグだってあるけど、ステーキも始めた。でも、ステーキなんてそんなに売れるわけがない。出前を始めたりして徐々に軌道に乗せ、4階建てのビルを建てるまでになったんです。

――27歳で独立し、36歳の時にはビルを建てた。

一瀬:五本の指には入れなかったけど、それでも一国一城の主ですから、母親も喜んだと思います。そこで僕も遊びを覚えた。真面目に働いていたけど、夜はカラオケスナックに行ったり、毎週月曜の休みには釣りに行ったり、日帰りでスキーに行ったり……。

――そのせいで悪影響が出た。

社長としての自覚

一瀬:若い頃は使われる身だったけど、その頃には支店も出して、従業員を抱える身になったところが違った。社長が遊んでいると、従業員はこの社長の下で大丈夫だろうかと不安になる。「社長、お話があるんだけど」と言われて従業員が去って行くんです。辞められるのが嫌だから、従業員に何も言えなくなってしまった。

――経営は悪化し、とうとう倒産の危機に陥ったという。

一瀬:病気で亡くした妻の生命保険も借金につぎ込んだ。それでも税理士さんから「来月末には資金繰りがアウトで、倒産するしかありません」と言われて、ようやく目が覚めた。あるゆるものをコストダウンし、自分の給料はもちろん、従業員の給料も15%引き下げることを決めました。

――みんな辞めてしまうのでは?

一瀬:給与カットは一人ずつ丁寧に説明し、「このままだと倒産してしまう。俺は『ステーキくに』を立て直す」と言うと、みんな付いてきてくれたんです。結局、社長の僕が従業員に辞められるのが怖いと思っていたから辞めていったんだと反省しました。その後、会社は持ち直し、給与も元に戻すことができました。

――一方で、一瀬氏は調理のマニュアル作りを始めた。

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