コロナ専門家はなぜ嫌われるのか? 「国民は聡明だからわかってくれる」と語った尾身茂氏と、国民に向き合わない“政治主導”の深すぎる溝

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 沈鬱な空気に支配されたコロナ禍にあって、誰よりも国民の注目を集めたのはコロナ専門家たちだった。国家的な危機に際し、彼らはなぜ表舞台へと担ぎ出され、そして、放逐されたのか――。「コロナ分科会」を率いた尾身茂氏への計14回に及ぶインタビューをはじめ、数多くの当事者取材を積み重ねてきたノンフィクション作家・広野真嗣氏が、“政治”に翻弄され続けたコロナ専門家の葛藤と悲劇に迫る。

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 私は『奔流 コロナ「専門家」はなぜ消されたのか』(講談社)を1月17日に上梓した。ネットの告知記事には多くのアクセスがある一方、コメント欄やSNSは荒れた。

 本書の主役は、3年間の新型コロナのパンデミックをめぐって国に助言する役割を担った3人の専門家だ。昨年8月末で廃止された政府の新型コロナウイルス感染症対策分科会会長の尾身茂氏、データ分析のスペシャリストである東北大学大学院教授の押谷仁氏、そして感染症数理モデルの使い手で“八割おじさん”とも呼ばれた京都大学大学院教授の西浦博氏である。

 心ない言葉が書き込まれるのを目の当たりにして、彼らがいかに疫禍の重苦しさの記憶と結びついているのかをあらためて思った。ただ、本書の意図は彼らの顕彰にはない。彼らの物語を通じ、見えなかったコロナ政治の「実像」を掘り出してみることにある。【広野真嗣/ノンフィクション作家】

災害というより安全保障

 確かに、実に沈鬱な時間だった。感染症法上の分類が2類相当から5類に切り替えられるまでの間に7万4000人もの人が亡くなった。経済活動がストップしたことで廃業や失業者も続出した。

 ただ、人口あたり死亡者の数が先進各国に比べ抑えられたのは事実だ。国民の衛生習慣や診療を引き受けた医療機関の職業意識の高さなどと並ぶピースの1つに、尾身がまとめ役となった専門家の奮闘があった。ただ、感染を少しでも下火にしようと一歩、また一歩と政治の決定に巻き込まれる間に、専門家は嫌われる対象になった。

 どうしてそんなことになったのか。

 パンデミックという「有事」は、災害というより安全保障に似ている。震災などと違って国境を突き抜けて広がるうえ、国民生活に直接影響を及ぼす。それだけ、いっそう複雑な災厄といえる。

 とりわけ原因となるウイルスの性質が謎だらけだった2020年2月以降の第1波のころ、尾身氏たち専門家グループが、サッカーでいえば「センターフォワード」の位置に引っ張り出された。

 クルーズ船内での感染爆発に政府が手を焼いていたころ、専門家たちは国内での市中感染に備えるよう非公式に提言した。が、さらなる失敗を懸念する政府は踏み込んだ対策に二の足を踏んだ。「何も言わなければ歴史の審判に耐えられない」という思いに駆られた専門家たちは加藤勝信厚労大臣に独自で具体案を具申した。厚労省はこの「パス」を正面から受け止めずに左から右へ受け流し、メディアへとスルーした。そして、専門家の記者会見が設定されたのである。

 政府の巧妙な“身さばき”によって、ガラ空きになったスペース、つまりは国民の目の前で、専門家の動きが際立った。このパターンはその後も続くことになる。

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