マラソンの宗兄弟が語る「双子で走る強み」 大舞台で二人がシンクロした瞬間とは(小林信也)

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お互いに高め合う関係

「私は中学、高校の6年間、弟に負けたことがない」

 茂が言う。猛が続ける。

「兄貴が1番で私が2番。それが定位置。無理して勝とうとも思わなかった」

「弟がライバルと思ったことは一度もない。分身ですから。もし負けるなら、弟だったら許せる。二人でひとくくりだから」(茂)

 70歳になったいまでも、宗兄弟と呼ばれ、二人一緒に紹介されることになんら違和感がないという。

「双子の場合は、お互いに高め合う関係が必要。どっちかが弱いと足を引っ張ることになって双子のいい部分が出せない。いい意味で競い合うことによっていちばん成長する」(茂)

「双子の場合は、兄貴ができることはオレもできるという感じ」(猛)

 計22回、一緒にマラソンを走った。私の記憶に鮮やかなのは80年モスクワ五輪最終選考会を兼ねた79年12月の福岡国際マラソン。40キロで猛がスパートしたが瀬古に追い付かれ、トラック勝負で瀬古が勝った。茂が2位、猛は3位で代表に選ばれた。

 茂の胸に最も深く刻まれているのは、81年の第30回別大毎日マラソンだという。

「弟とアメリカのベアズレーの二人が先頭を争い、自分は何回か離された。ところが強い向かい風もあって、二人がけん制し合ううちに追い付いた。それでも弟の調子が良かったから、優勝は弟だろうと思っていた。でも弟が40キロでスパートした時、自分の体が勝手に反応した。その時急に、『今日のレース、オレがもらったな』と。しかも私が『いける』と思った同じ時に、当然勝つと思っていた弟が『ヤバい』と思ったって。その辺が双子なんです」

 茂の話を受けて猛は淡々と振り返る。

「兄貴は途中、100メートルくらい離れたので、ベアズレーとの勝負だと思った。風がなければロングスパートをかけて独走になっていたと思う。でも、向かい風を気にしてお互い前に行きたくなかった。そしたら最後に、いちばんおいしいところを兄貴に持っていかれた」

 二人の差はわずか2秒だった。

小林信也(こばやしのぶや)
スポーツライター。1956年新潟県長岡市生まれ。高校まで野球部で投手。慶應大学法学部卒。大学ではフリスビーに熱中し、日本代表として世界選手権出場。ディスクゴルフ日本選手権優勝。「ナンバー」編集部等を経て独立。『高校野球が危ない!』『長嶋茂雄 永遠伝説』など著書多数。

週刊新潮 2024年1月4・11日号掲載

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