元NHKディレクターのハンター・黒田未来雄が追い続けるヒグマ「熊五郎」 せっかくのチャンスで味わった「清々しいまでの敗北」

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清々しいまでの敗北

 ある日。熊五郎が踏んだばかりの、湯気が出ていそうな足跡を見付けた。僕は血を滾(たぎ)らせ、追跡を開始した。熊五郎は歩き易い林道をしばらく進んだ後、右手の斜面を登っていた。その先には、何かしらの食べものがあるはずだ。冬眠前の熊は脂肪を蓄える為、広範囲に歩き回って食料を探す。食べ尽くすと、すぐにまた歩き易いルートをたどって次のポイントを目指すに違いない。僕は先回りを試みることにした。

 しばらく尾根筋を歩いた熊五郎が、再び林道に降りて来るであろう場所を推測する。僕は谷を二つ越えた見晴らしの良い斜面まで急いだ。幸い、熊五郎が林道に降りた形跡は見当たらない。大木の陰に身を潜め、待ち伏せを開始。さあ、いつでも来い。

 そのまま1時間が過ぎた。そして2時間。熊五郎は現れない。風が吹き始めて体が冷え切り、僕の忍耐は限界を迎えた。このまま下山するのも悔しいので、もう少し奥まで行ってみようかと歩き始めた瞬間。目の前にあったのは、熊五郎の足跡だった。なんということだ。改めて、彼の足跡をたどり直す。ある程度は尾根筋を歩くだろうという僕の予想を裏切り、熊五郎は早々と林道に降りていた。そして、どうやって待ち伏せしているハンターの存在を感じ取ったのか、ピンポイントで僕を迂回(うかい)していた。悔しさを超え、込み上げる笑い。清々しいまでの敗北。

 やがて年の瀬を迎え、熊五郎は春までの長い眠りについた。

 熊五郎よ。最高に濃密な時間をありがとう。この冬は、完全に俺の負けだったな。けどいつか、お前に会う時が来ると信じてる。その時は、お前と俺のどちらかが、命を落とすことになるかもしれないな。深い雪の下でぐっすり寝ろよ。俺もようやく、ひと息つけるわ。しばらくは朝寝坊でもするかな。たまには夢に出てきてくれよ。そしてお前も、いい夢を。

くろだ・みきお
1972年生まれ。三菱商事入社後、NHKに転職し「ダーウィンが来た!」などを制作。昨年早期退職し、ハンターに。著書に『獲る 食べる 生きる』。

デイリー新潮編集部

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