【勝新太郎の生き方】麻薬所持で逮捕され、裁判で「今回のことで30歳くらい大人になった」 滅茶苦茶な人格を愚直に演じ続けた天才役者の実像

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「総理大臣には代わりがいるが、オレの代わりはいない」――数々の名言と共に多くの伝説を残した俳優といえば、やはりこの人、勝新太郎さん(1931~1997)です。「座頭市」「兵隊やくざ」といった大ヒットシリーズはもちろん、多くの映画やテレビドラマで名演を残し、製作・演出の面でも活躍しました。朝日新聞編集委員・小泉信一さんが様々なジャンルで活躍した人たちの人生の幕引きを前に抱いた諦念、無常観を探る連載「メメント・モリな人たち」。稀代の名優の人生に迫ります。

人にサービスをすることが大好き

 銀座や六本木を知らなくては男じゃない――。そう粋がって、一度だけ高級クラブで飲んだことがあった。いまから20年前。社会部記者だったころである。

 店の名前は、六本木にあったI。目玉が飛び出るような金額だったが、すべて自腹。思わず赤面してしまうが、そんなバカなことをしたお陰で、いろいろ学ぶこともあった。ほろ苦くも懐かしい思い出である。

 おっと、前書きが長くなった。夜の世界での豪遊といえば、やはりこの男を挙げないわけにはいかない。「座頭市」などアンチヒーローや反体制のヒーローを演じて人気を博し、私生活でもさまざまな話題をまいた俳優・勝新太郎である。

 天衣無縫な大スター、通称「勝新」。夜のクラブではホステス一人ひとりに1万円のチップ。タクシーに乗っても1万円。釣りは受け取らなかった。路上生活者にもチップを渡したことがあったという。勝新が夜の街を歩くと、そこには常に何人もの取り巻きがいて、数十人規模になったこともあったそうだ。

「人にサービスすることが大好きな男だった」

 と知人は振り返る。酔っ払って知人に召集電話をかけまくり、店の外にまで人があふれたこともあったそうである。

 波瀾万丈の役者人生。常識と非常識、演技と実生活の境目を分けることは難しかったに違いない。

 中でも、1990年1月に麻薬を下着に隠してハワイの空港で逮捕された件は、いまでも「平成の芸能事件」として語り草になっている。

 当時の日刊紙は、事実を淡々と伝えている。

《ホノルルの税関当局によると、勝容疑者は羽田発の中華航空機で、現地時間の16日午前6時40分ホノルル空港に着いた。通関の際、下着の中にコカイン1・75グラムとマリフアナ9・75グラムを隠し持っていたのを見つけられたという。在ホノルルの日本総領事館でも、逮捕の事実を確認し、本人から事情を聴いている。/ホノルル税関のローガン特別捜査官によると、勝容疑者は「観光旅行で来た」と供述している、という。また、在ホノルル日本総領事館によると、勝容疑者は同領事館の領事に対し、麻薬を持っていたことを認め、「自分で使うつもりだった」と話しているという》(朝日新聞:1990年1月17日夕刊・第1社会面)。

 勝新の兄で俳優の若山富三郎(1929~1992)のコメントが面白い。

「勝が何をしにハワイに行ったのかは知らない。60歳にも手が届こうという者が、あんなもので捕まろうとは、バカなやつだ」

 さて勝新。「座頭市が麻薬所持」とメディアは大騒ぎをしたが、勝新は「知らないうちにパンツの中に入っていた」と帰国後の記者会見で述べた。芸能史屈指の名(迷)言である。

 勝新は、麻薬及び向精神薬取締法違反(密輸出)の罪に問われる。92年3月27日、東京地裁は「被告は反省の態度も示さず実刑に処す考えもあるが、今回に限り自力更生の機会を与える」として、懲役2年6カ月(求刑も同じ)、執行猶予4年の有罪判決を言い渡した。勝新は記者会見で、

「これまで国民、社会人としての意識からはちょっとズレていたけれど、今回のことで私も30歳くらい大人になった。もう(麻薬は)やらない」

 と神妙な面持ちで話した。そして、

「事件の体験を元にして、警察に捕まった芸能人がどういうふうに世間から切り離されていったかを作品化してみようとも考えている」

 とも語った。心の底から反省していたのかどうか疑問に思ってしまうが、勝新は真面目に受け答えしたのだろう。でも、世間の常識や道徳基準からはズレてしまった人であったことは間違いない。ひたすら真面目にお茶の間の良識からはみ出し、「メチャクチャな人格」を愚直に演じ続けた役者であると言っていいだろう。

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