沖縄密約報道「西山太吉氏」、堕ちた看板記者を再起させた「妻」と「こん畜生」【2023年墓碑銘】

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 長く厳しい“コロナ禍”が明け、街がかつてのにぎわいを取り戻した2023年。侍ジャパンのWBC制覇に胸を高鳴らせつつ、世界が新たな“戦争の時代”に突入したことを実感せざるを得ない一年だった。そんな今年も、数多くの著名人がこの世を去っている。「週刊新潮」の長寿連載「墓碑銘」では、旅立った方々が歩んだ人生の悲喜こもごもを余すことなく描いてきた。その波乱に満ちた歩みを振り返ることで、故人をしのびたい。
(「週刊新潮」2023年3月16日号掲載の内容です)

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 昨年50周年を迎えた沖縄返還を見届けるように2月、往年のスクープ記者が逝った。西山太吉(たきち)氏である。

 沖縄返還交渉が日米間で行われていた1971年、返還協定では米国が支払うはずの400万ドルの補償費を、日本が肩代わりする「密約」を結んでいた。この機密外交文書を西山氏は極秘に入手。情報提供者が特定されないように記事を執筆。さらに時の佐藤栄作政権に打撃を与えようと社会党の横路孝弘議員に極秘文書を渡すのだが……。

「横路は弁護士だから文書の出所がわからぬよう扱うと西山さんは思ったのに、政府側に見せてしまったのです」(絶筆となった『西山太吉 最後の告白』で対談した評論家・佐高信氏)

 そこから事態は暗転する。西山氏に情報提供した外務省事務官・蓮見喜久子氏が警察に出頭し自供。起訴状に「ひそかに情を通じ」と書かれたことで、西山氏と蓮見氏との間にあった男女の関係が暴露される。メディアもそれを連日のように報じ、世間の関心も密約問題から男女の醜聞ネタへ移る。二人は国家公務員法違反で逮捕され有罪に。西山氏は記者生命を断たれた。裁判を傍聴し『密約』を書いた作家・澤地久枝氏は、

「男女関係という個人的なことと国家的な犯罪では重さが全く違う。それを検事が書いた“情を通じ”という馬鹿げた文言で問題をすり替え、世論を動かした。蓮見さんはその表現に身を任せるように悲劇の人を演じた。西山さんは悪い女に引っかかったと思いました」

かぼそい声で

 1931年、山口県生まれ。慶應義塾大学大学院を修了後、毎日新聞社に入社。“40歳までに1面スクープを100本以上書いた”といわれる看板記者だった。同じ時期、外務省記者クラブに所属していた評論家・俵孝太郎氏はこう回想する。

「彼は目上の記者にタメ口をきく。態度がデカいから“ふと吉”と呼ばれていた。しかも群れをつくらない一匹狼。ナベツネ(読売新聞主筆・渡邉恒雄氏)から、ふと吉の弁護側の証人にと誘われたけど断りました。取材の仕方がヒドいからね」

 新聞社退社後は、親族が北九州市で営む西山青果で働いた。西山夫妻への入念な取材をもとに『ふたつの嘘』を書いた諸永裕司氏によれば、西山氏の父親はバナナ輸入で財を成し、小倉周辺に広大な土地を所有していたという。氏はそれを売っては酒に株に、競艇につぎ込んだ。西山夫妻は約20年別居生活を続けたが、そんな荒んだ生活をみた妻の啓子(ひろこ)さんが「ギャンブルだけはやめて」と懇願すると、かぼそい声で言った。

「ギャンブルをしているときだけは、すべてを忘れられるんだ」

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