パリでのトコジラミ(南京虫)の大発生 日本でも増加? やっかいなポイントは?(古市憲寿)

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 10月頭、パリへ行ってきた。少し前なら「うらやましい」とでも言われたのだろうが、この頃最も多い反応は「大丈夫でしたか」という心配である。

 オリンピックを来年に控えたパリであるが、トコジラミ(南京虫)の大発生が問題になっている。9月の終わり、華やかなファッション・ウィークの直前だった。部屋のマットレスはもちろん、映画館や地下鉄の布張りシートなど、あらゆる場所での目撃情報がSNSで拡散され始めたのだ。

 パリのファッション・ウィークには世界中から多くのインフルエンサーが訪れていた。彼らの発信力も相まって、パリの南京虫は世界的なニュースになった。

 南京虫は体長5~8mmの人間の血を吸う寄生昆虫。吸血されると、激しい痒みや発赤などに襲われることがある。

 だが新型コロナウイルスと違って、未知の事態というわけではない。戦後の日本でも南京虫はありふれた存在だった。渡辺プロダクションの創業者である渡辺晋さんには、貧乏学生時代、あまりにも空腹で南京虫を食べようとしたというエピソードが残されている(軍司貞則『ナベプロ帝国の興亡』)。

 幸いにも日本では1970年代以降、南京虫は激減している。世界的にもDDTなど殺虫剤が普及したことで、南京虫の駆除が進んでいた。だが、殺虫剤に耐性を持った南京虫が登場した上に、国際的な往来が増加したことで、再び被害が増えている。観光客や移住者が連れて来ることもあるし、コンテナなど貨物に紛れ込むこともある。

 南京虫が厄介なのは完全な駆除が難しいこと。生命力が強く、成虫は吸血しなくても1年ほど生きるという。薬剤を散布しても卵が残っていると、孵化と共にまた大発生の可能性がある。気付かないうちに何千匹の南京虫と暮らしていた、ということが起こりかねないのだ。

 実はフランスも、今年に入って急に南京虫が問題になったわけではない。食品環境労働衛生安全庁の報告書によると、2017年から2022年にかけてフランスの住宅の約10軒に1軒が南京虫の被害に遭っていたらしい。パリと高速鉄道でつながるロンドンでも南京虫の被害が増えているという。すでに地下鉄など公共交通機関でも目撃情報がある。

 朗報は、どうやら南京虫は病原体を媒介しないということ。つまり刺されても、しばらく痒みに耐えればいいだけなのだ。赤みもそれほど長くは残らない。

 一番に厄介なのは、気持ちの問題かもしれない。華やかなパリを訪れた時、ホテルのベッドでも、レストランの椅子でも、ずっと南京虫のことを考えていたら気が滅入る。関係ない痒みさえも南京虫かと疑っていたら、どんどん憂鬱(ゆううつ)になっていくだろう。

 戦争など目に見える脅威はもちろん怖いが、感染症や南京虫など肉眼で確認しにくい事象に対して、たやすく人はパニックに陥りかねない。多分、僕は大丈夫でした。

古市憲寿(ふるいち・のりとし)
1985(昭和60)年東京都生まれ。社会学者。慶應義塾大学SFC研究所上席所員。日本学術振興会「育志賞」受賞。若者の生態を的確に描出した『絶望の国の幸福な若者たち』で注目され、メディアでも活躍。他の著書に『誰の味方でもありません』『平成くん、さようなら』『絶対に挫折しない日本史』など。

週刊新潮 2023年11月2日号掲載

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