ガールズバーの女子大生に300万円貢いだ43歳不倫夫 妻から反吐が出るとなじられても「僕は被害者」と言う“マッチョな論理”

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前編【妻の反対を押し切ってベンチャー企業へ転職 43歳夫が1年後 彼女に放ったあり得ない一言】からのつづき

 榊原亮一さん(43歳・仮名=以下同)は、父に愛されずに育った。男らしさを求められ、期待に応えられないことがわかると、無視されるようになったと語る。そんな彼が「ずっとデートし続けるのもめんどうになったので」会社の同僚だった妻の絵理奈さんと結婚したのは29歳のとき。娘が産まれるも、ベンチャー企業への転職をめぐり夫婦は衝突してしまう。絵理奈さんの反対を押し切り転職し、給料がアップした亮一さんは「言うことを聞いていたら僕の未来はなかった」と彼女に言い放った。以降、家計は絵理奈さんには任せないこととした。

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 もちろん、生活費はじゅうぶんに渡しているつもりだった。貯金だってできたはずだと彼は言う。それでも夫婦仲はその後もギクシャクしがちだった。

「娘はかわいい。無条件にかわいいがりました。だけど妻は、家事ひとつきちんとしてくれなかった。早めに帰ると連絡したのに帰宅しても食事ができていなかったり、コロッケ2つだけの夕飯なんてこともありました。さすがに『これじゃ栄養が足りないよ』と言ったら、彼女は『だったら自分で作ってよ、私だって忙しいの』って。昼間は家にいるだけだろ、何が忙しいんだよとケンカになることもありました。多くは望んでない、普通にご飯を作ってくれればいいだけなんだと言ったら、『どうせ私は無能ですよ』と言い返された。そんなこと言ってないのに」

 今だったらモラハラと言われるんでしょうねと彼は言う。モラハラという言葉はなかったが、「文句ばかりいう夫」と言われたことはあるそうだ。だが亮一さんに言わせれば、妻は被害妄想が強く、ちょっと何か言うとすぐ「どうせ私をバカにしてるんでしょ」と自分を卑下するタイプにしか思えなかった。

「そういう母親に育てられると、娘の性格形成によくないと思ったので、娘には小さいころから前向きに自分を認められるような言葉をかけました。そういう本を買ってきて、妻にもそれに則って子育てをするようにと言い含めた。習い事も、やりたいということは何でもさせたし、小学校受験もさせました。いい教育を受けさせたかったんです。でも受験は失敗、正直言って、妻の熱意が足りなかったんだと思う。でも妻は『どうせ私がバカだから』って」

“毒親育ち”だった妻

 どうやら絵理奈さんの母は毒親だったらしいと、亨一さんは結婚して10年近くたってから初めて知った。絵理奈さんの2つ違いの姉が勉強もスポーツもできるタイプだったため、いつも比較されて育ったらしい。しかも姉が中学受験をするため、母は姉にかかりきりになり、絵理奈さんは小学生のころから家事をやらされてきた。だから家事はできるのだが、やりたくないという気持ちも強い。当時を思い出して苦しくなることもあったようだ。

 妻の父親が亡くなったあと、絵理奈さんは問わず語りに、そんなことをぽつりぽつりと話したのだ。

「もっと早く話してくれればよかったのにと言ったら、『あなたは私の心を見ようとしなかった』と言われたんです。そんなことはないと反論すると、『いつだってそうやって決めつけてくる』って。きみこそいつも被害妄想で凝り固まってるじゃないかと怒鳴ってしまいました。妻と一緒にいるのがストレスになっていきましたね」

 自分だけではない、妻にも育った家庭や親への不満があったのだと共感しあえればよかったのだが、彼は妻に同情も共感もできなかったようだ。もっと屈託なく育った人なら、この家庭も違うものになったのではないかと、自分を棚に上げて妻を責めるようなことがその後も続いた。

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