【今日は何の日?】金田正一の「史上唯一の400勝」から54年 実弟が明かした知られざる素顔とは(小林信也)

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“ノーサイン”の真相

 長嶋を4三振に討ち取った試合をスタンドから父と一緒に応援したのは、末弟の留広だ。当時まだ小学校6年生だった留広は後にプロ入りし、74年は兄・正一が監督を務めるロッテ・オリオンズのエースとして活躍。16勝を挙げて2度目の最多勝に輝くとともに、4年ぶりのリーグ優勝と日本一に貢献。MVPも獲得している。

 留広は引退後、高校野球の投手たちを熱心に指導していた。私はある高校のグラウンドで会って以来親交を重ね、金田正一流の投手育成法を幾度となく習った。

 カネヤンの投手育成の基本は「走れ、走れ」が有名だ。そのほかに印象的だったのは、「ボールを真上に投げる練習」だった。ロッテ時代、留広もやらされた。上に向かって投げるのは、思いのほか難しい。全身のバランスが必要だし、肩甲骨のやわらかさ、下半身の強靭さがないと伸びやかに真上には投げられない。

「この練習で抜群だったのは村田兆治です」、留広が教えてくれた。「東京ドームでやったとき、兆治は天井にぶつけましたから」

 あの天井にということは、村田は60メートルも真上に投げたわけだ。

 私は、幼いころからずっと気になっていた伝説について留広に訊ねた。400勝投手の女房役として知られた根来広光捕手の逸話だ。わがままな金田は、捕手のサインを見て投げるのを嫌った。ノーサインで勝手に投げ込んでくる。スピードガンがない時代だが、150キロは優に出ていたと多くの選手が口をそろえる快速球。加えて縦に割れる大きなカーブが持ち味だ。

「金田の球をノーサインで捕れるのは根来だけだった」

 少年時代、その伝説を聞かされ、胸の奥が衝撃で震えた。金田以上に根来の凄さに感銘を受けたのだ。そのことを訊くと、留広は静かに笑いながら言った。

「兄貴の球をノーサインで捕れる捕手なんていませんよ。兄貴がマウンドからこっそりサインを出していたんですよ」

 三人とも鬼籍に入り、その真偽を確かめる機会を失った。が、金田正一の実像を知らされる貴重な証言に私はもう一度、震えた。

小林信也(こばやし・のぶや)
1956年新潟県長岡市生まれ。高校まで野球部で投手。慶應大学法学部卒。「ナンバー」編集部等を経て独立。『長島茂雄 夢をかなえたホームラン』『高校野球が危ない!』など著書多数。

週刊新潮 2021年6月10日号掲載

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