『古事記』は『日本書紀』のウソを告発する書なのか?
現存する「日本最古の書」であるにもかかわらず、新訳やマンガなど、毎年のように関連書籍が出版される『古事記』。古き日本をより詳しく知りたいと思う読者が多いということだろう。それと同時に、解明されていない謎が少なからず残されていることも、世間の関心が衰えない理由なのかもしれない。
歴史作家の関裕二氏は近著『スサノヲの正体』(新潮新書)の中で、スサノヲが『古事記』では敬意をもって扱われているのに対し、『日本書紀』では蔑まれていることに注目。同時期に成立したといわれる歴史書なのに、スサノヲの評価が正反対なのはいったいなぜなのか? 同書から抜粋してみよう。
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なぜ一人の為政者が二つの歴史書を必要としたのか?
『日本書紀』と『古事記』について、整理しておきたい。
古代文学の専門家・三浦佑之(すけゆき)は『古事記講義』(文藝春秋)の中で、神話は人間が「不安を納得し受け入れるために、生きる根拠が必要」で、それを保証するのが神話といっているが、あまりにも文学的で牧歌的な解釈ではなかろうか。『古事記』『日本書紀』編纂の目的は、きわめて政治的なのである。
そして、『古事記』は『日本書紀』のついたウソを告発するために、記されたのではなかったか。なぜそう思うのか、すこし説明しておこう。
『古事記』は和銅5年(712)に、『日本書紀』は養老4年(720)に編纂されたと一般には考えられている。『日本書紀』よりも先に『古事記』が完成していたことになり、通説もそれをほぼ認めているが、これは怪しい。『古事記』編纂の頃の出来事を記録しているはずの正史『続日本紀』には、『古事記』撰録の詔と『古事記』が献上された事実が記録されていないし、『日本書紀』は先に編纂されたはずの『古事記』を、まったく参照していない。『日本書紀』よりも『古事記』の方が古いと考えられてきたのは、『古事記』の序文にそう書いてあったからだが、これを素直に信じることはできない。
序文だけではなく、『日本書紀』と『古事記』を並べるといくつもの謎が浮かび上がってくる。
『日本書紀』と『古事記』序文のどちらも天武天皇が編纂にかかわった可能性を示唆している。しかし、ひとりの為政者が、なぜ二冊の歴史書を必要としたのだろう。
『古事記』序文は『古事記』撰録に至る経緯と712年に献上されたことが記されていて、上表文の形をとっているが、書き方に「信じがたいミス」があって、この序文そのものはニセものと疑われている。
加えて、本文も奇妙だ。神代から推古(すいこ)天皇までを記録するが、第24代仁賢(にんけん)天皇から第33代推古天皇に至る、5世紀後半から7世紀前半にかけての歴史記述がほぼ皆無だ。系譜や宮の所在などを無機質に記録するだけなのだ。なぜ、王家の正統性と正当性を証明するための歴史書の中で、直近の歴史を省いてしまったのだろう。
さらにいうならば、推古天皇からあと8世紀にいたる歴代天皇の活躍を、なぜ無視してしまったのか、これがわからない。激動の時代が続き、律令国家の基礎が形づくられるもっとも大切な時代を無視したのであれば、そこに何かしらの意図があったとしか思えないのである。
それだけではない。『日本書紀』は親百済、『古事記』は親新羅と、正反対の国を応援している。白村江の戦い(663)で百済とヤマト政権の連合軍は唐・新羅に敗れ、百済はすでに滅ぼされて、百済の大量の移民が日本に流れ着いていた。ヤマト政権と百済遺民は新羅を恨み、8世紀に至っても、政権は新羅に敵愾心を燃やしていたから、なぜ『古事記』が「新羅にシンパシーを感じていた」のか、理解しがたい。国内貴族層(為政者)の主導権争いを想定すると、『古事記』は奇妙な文書なのだ。しかも、『日本書紀』はスサノヲに冷淡で、逆に『古事記』は、スサノヲを蔑んでいない。ここに、大きな謎が隠されている。
記紀神話の政治性に着目せよ
古代史研究家の大和岩雄(おおわいわお)の「『古事記』偽書説」(『古事記成立考』大和書房)に魅力を感じる。『古事記』は古い記録を用いたとしても、さらにのちの時代の手が加わっていたと推理している。『古事記』は、わざと古く見せかけているというのだ(詳細は拙著『古事記の禁忌 天皇の正体』新潮文庫)。
『古事記』序文に次のようにある。「諸家のもたらした『帝紀(ていき)』と『旧辞(くじ)』(『古事記』や『日本書紀』以前の歴史書。現存せず)には偽りが多く加えられていて、その誤りを正さなければ、真実はすぐに滅びてしまうだろう」。ここにいう「偽りが多く加えられていて、それを修正した」という一節が、大きな意味を持っていると思う。
『古事記』と『日本書紀』にはそれぞれ異なる思惑が隠されていて、どちらの神話にも、政治的な加工がなされている可能性を指摘しておきたい。『古事記』は、『日本書紀』の歴史改竄を神代にさかのぼって告発するための文書だったと筆者はにらんでいる。『古事記』は、きわめて政治色の強い文書であって、牧歌的な神話の裏に、「『日本書紀』のウソ」を暴くためのカラクリがいくつも仕掛けられているのだと思う。
スサノヲをめぐる研究史を追ってきたが、これまでの学説の多くは、『日本書紀』と『古事記』の捉え方に問題があったと思う。神話の政治性に無頓着だった。ここに、根本的な誤謬が潜んでいる。神話の政治性を強く意識しなければ、スサノヲの物語を解き明かすことはできないのである。
さらに、これまでの神話研究の最大の欠点は、戦前戦中の皇国史観に対する反動から「神話に登場する神々は、架空の存在」と、決めつけてかかってきたことだ。さらに、神々の活躍も「歴史ではない」と信じてしまったのだ。しかし、8世紀の政権(権力者)が、自身の正当性を証明するために、ヤマト建国にさかのぼって歴史改竄をする必要に迫られていたことを見逃してはならない。
※『スサノヲの正体』(新潮新書)より一部抜粋・再構成。