【日大アメフト部違法薬物事件】元凶は“保体審(ホタイシン)” OBは「半世紀以上前から問題視されていた。解散しかない」

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不正入学の温床?

「保体審のもうひとつの問題点は、かつてここが不正入学の温床だったことです」

 と語るのは、1970年代に日大のスキャンダルを取材した古参のフリージャーナリストB氏である。

 驚くべきことにその実体を、現役教授が顔写真入りの実名で、週刊新潮で悪びれることなく堂々と解説していた。日大法学部長選挙で負けたC教授が、勝利したD教授を糾弾するという告発コメントの一部だ(記事中ではすべて実名)。

《D教授が法学部長になるまでは、正規補欠合格者の最下限の点数もとれなかった受験生の中から、教員、職員、校友会(同窓会)、体育会、国会議員の五つのルートを通して推薦状の出されているものをピックアップし、十人のおもだった教職員からなる入試委員会にかけて、原則として成績順に不正規補欠合格者を決めておったんです。五つのルートから推薦状の出されている受験生は全体で二千人ぐらいいたでしょうか》 (週刊新潮1977年4月14日号「『黄金の椅子』だから争われている日大法学部長の『座』》より)

「このように、“不正規補欠5ルート”のなかに、当時すでに体育会の推薦枠があったのです。いまでいうスポーツ推薦の原型ですが、同時に寄付金を強要されることで、自然と裏口入学に変容していきました」(ジャーナリストB氏)

 本来はこの委員会の合議で、推薦者の顔ぶれを見ながら、寄付金を納めて入学させる受験生を決めていた。ところが、そのD教授が学部長になってからは合議ではなく、学部長一任に変更されたのだという。C教授の告発コメントが続く。

《さあそうなると、どういう基準で不正規補欠合格者を決めているのか、さっぱりわからなくなりました。(中略)不正規補欠合格者が出す五十万、三十万の法学部に対する寄付金も、何点のものが五十万で、何点のものが三十万なのか知るよしもない。(中略)入学許可通知書と寄付申込書を同時に不正規補欠合格者に送っているが、その返信の上書きは、D学部長あて“親展”となっていましてねえ。つまり、ある父兄が五十万の申込みをしたとしても、“あれは三十万だった”といわれればそれっきりのわけですよ》 (同前)

 もちろん、糾弾されたD教授も、記事中で「話が全く逆ですよ」と怒って反論している。ところが、この告発について火に油を注ぐようなコメントも載っているのだ。日大校友会副会長E氏の証言である(これまた記事中では堂々の実名)。

《補欠入学(不正規)を頼まれる場合は多いですよ。何人かわからんぐらいだなあ。謝礼は応分のものであればいただいております。(中略)先生同士が補欠入学で金をとってる、とってないなんていいだしたら、キリがないでしょう。ドロ試合ですよ 》(同前)

 以上は1970年代の話である。こんな前近代的な行為は、さすがにその後は行われていないだろう……と思うのは早計のようだ。

「1997年、フェニックスのコーチがスポーツ推薦枠を使って息子を歯学部に入学させると偽り、都内の医院長から5000万円をだまし取ったと報道されました。この男が危険タックル問題で注目を浴びた井ノ口忠男氏です。日大の理事でもありましたが、危険行為を隠蔽しようと画策していたことを暴露され、辞任しました。そんな人物でも理事になれる。保体審あればこそとしか言いようがありません」(ジャーナリストB氏)

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