【日大アメフト部違法薬物事件】元凶は“保体審(ホタイシン)” OBは「半世紀以上前から問題視されていた。解散しかない」

国内 社会

  • ブックマーク

Advertisement

治外法権の伏魔殿

 日本大学は9月1日、部員の違法薬物事件が起きたアメリカンフットボール部を同日から再度の無期限活動停止にしたとホームページで発表した。また、8月31日付で学生寮も閉鎖している。同事件をうけて日大は8月5日にアメフト部を無期限活動停止にしていたが、「個人の犯罪」と判断、10日に処分を解除していた。しかし、その後に学生寮が2度目の家宅捜索を受け、複数の部員が任意聴取されている。事件はどこまで広がりを見せるのだろうか。

 ***

 そもそも作家で芸術学部出身の林真理子氏が日大の理事長に就任したのは、この種の問題を一掃するためだった。その林氏が8月8日の記者会見で、以下のような“本音”を吐露した。

「一番重い問題だったのはスポーツ分野でしたが、澤田康広副学長(競技スポーツ担当)に任せていました。そのため遠慮がありました。組織や監督、コーチも知らず、グラウンドに行く機会もなく、手が付けられませんでした。もっと積極的に行くべきでした」

 なんと最高権力者であるはずの理事長ですら「手が付けられなかった」と語る。まさに治外法権の伏魔殿を思わせるが、いったい日大のスポーツ部門とはどのような存在なのか。

 実は、その“黒歴史”は近年に始まったものではない。すでに半世紀以上も前から問題視されていた。

保体審(ホタイシン)とは何か

 日本大学は4年制学部だけでも16学部87学科を擁するマンモス大学である。通信教育部も含めると、現在、在籍学生は約7万3000人に及ぶ。

 サークルやクラブは学部ごとにあるが、大学本部直属の“オール日大”のクラブもあり、これこそが“スポーツ日大”としての看板である。しかし、キャンパスが全国各地に散在しているので、これらを統合する組織が必要となる。吹奏楽部や軽音楽部などの文化部を束ねるのが「学生部文化団体連合会(文団連)」で、30余の運動部を束ねるのが「日本大学競技スポーツ部」である。ところが、

「『競技スポーツ部』なんて呼んでいる教職員はいませんよ。いまでもほとんどの人が、陰で『保体審(ホタイシン)』と呼んでいます」

 と説明するのは、日大某学部のOB職員A氏である。

「もともとは『日本大学保健体育審議会』、略称『保体審』という名称の組織だったんですが、2018年5月に発生したフェニックス(日大アメフト部の愛称)の危険タックル問題を機に、同年秋に『日本大学競技スポーツ部』と改称しました。やはりフェニックスは保体審の顔でしたから。しかし、今回の違法薬物事件で、実態は何も変わっていないことが明らかになりました」

 フェニックスはリーグ(関東学生アメリカンフットボール連盟)優勝35回、甲子園ボウル(全日本大学アメリカンフットボール選手権大会)優勝21回の名門。特に“オヤジ”の愛称で知られた故・篠竹幹夫氏の監督時代(1959~2003年)に驚異的な活躍を見せ、監督通算401勝の大記録を持つ。その活躍ぶりは小説や映画でも描かれた。それだけに保体審の顔となってきたのも無理はない。

 しかし、実質的に保体審を強固な組織に“育て上げた”のは、日大相撲部出身の前理事長・田中英壽 氏だった。田中氏は学生横綱として名を馳せ、その後、相撲部のコーチから監督へと昇進。保健体育局 の庶務課長、事務局長を足掛かりに保体審をバックにつけ、校友会会長から理事へと登りつめていく。

「田中氏のうまいところは、のちに第10代の総長となる瀬在幸安 先生を相撲部の部長に迎えたことです。私たちは『なぜ瀬在先生が相撲部に?』と仰天しました。だって瀬在先生は、医学部長であると同時に、日本で初めて冠動脈バイパス手術を成功させた心臓外科手術の世界的権威です。そんな方がなぜ相撲部に? ところが、これが田中氏の作戦だったのです」(職員A氏)

 実はそれまで学内では、瀬在氏とその実兄で文理学部長だった故・瀬在良男氏が総長の座を争っていた。まさに骨肉の争いである。当初、田中氏は兄・良男氏のほうが有力とみてフェニックスの部長に迎え 、保体審をバックに、見事、第9代の総長に就任させた。

「ところが、良男氏の総長としての地位は盤石ではありませんでした。それに気づいた田中氏は、すぐに弟の幸安先生に乗り換え、今度は相撲部の監督に迎えました。これを機に、学内の“幸安派”と呼ばれる有力者が次々と保体審の周辺に集まった。あっという間に保体審は集票マシンとなり、幸安先生は第10代の総長に就任。田中氏は理事になったわずか3年後に常務理事に出世し、2008年には理事長に就任するのです」(職員A氏)

 それどころか、田中氏はそれまで総長がトップだった学内のヒエラルキーを逆転させる。総長を廃止して学長とし、理事長がトップ、その下が学長という“下剋上体制”を作り上げた。それらの背景にあったのが保体審だった。

 ちなみに、瀬在幸安氏を総長に担いだ田中氏だが、今度はその瀬在氏に切られることとなり、膨大な怪文書が飛び交う泥沼の総長選に突入する……のだが、あまりにきりがないのでここでは省略する。

次ページ:不正入学の温床?

前へ 1 2 3 4 次へ

[1/4ページ]

メールアドレス

利用規約を必ず確認の上、登録ボタンを押してください。