「京アニ事件」初公判で明かされた「青葉被告」の歪な成育歴 “ゴミ屋敷での極貧生活”“小学生時代から万引き常習”“下着泥棒で逮捕”の転落人生

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「忘れられないのは彼から“万引き”に誘われたこと」

 36人が命を落とし、32人が重軽傷を負った「京都アニメーション放火事件」を引き起こした青葉真司被告(45)。9月5日に開かれた初公判で、検察側は青葉被告の自己愛的なパーソナリティーについて、彼の“成育歴に起因する”と主張している。

 検察側の冒頭陳述で指摘された彼の“成育歴”を抜粋すると、<9歳のときに両親が離婚>、<父親による虐待や貧困>、<転校や不登校を経験>。社会に出てからも<生活が困窮し、食品を万引き>するようになり、ついには<下着泥棒や女性への暴行で逮捕>。まさに転落の一途を辿っている。

 事件の発生当時、青葉被告の周辺を取材した「週刊新潮」の記事は、今回の冒頭陳述の内容をさらに深く掘り下げていた。彼が「京アニ放火事件」に手を染めるまでの半生を、改めて振り返ってみたい。(以下、「週刊新潮」2019年8月1日号掲載の記事を加筆・再構成しています。日付や年齢、肩書などは当時のまま)

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 未曾有の惨劇の直後、京都府警が身柄を拘束したのは、現場にガソリンをぶちまけ、火を放った青葉真司容疑者(当時41)だった。自身も重度の火傷を負い、いまも生死の境を彷徨う「爆殺犯」。その人生を辿ると、暗く荒涼とした軌跡が浮かび上がってきた。

 1978年に3人きょうだいの次男として生まれた青葉容疑者は、埼玉県内の小学校に進学する。低学年の頃に親しかった同級生によれば、

「青葉と遊んでいたのは僕ともうひとりの友だちくらい。何を考えているか分からない、クラスでも浮いた存在の奴でした。同級生と並ぶと頭ひとつほど背が高く、体格も良かった。当時流行っていた『北斗の拳』のラオウと青葉の“ば”をかけて“バオウ”というあだ名で呼ばれていましたね」

 この友人は彼の自宅アパートを訪れた日のことを鮮明に覚えている。

「ひと言でいうとゴミ屋敷です。食べ終わったコンビニ食品の容器やゴミ袋が部屋中に散乱していて足の踏み場もないほど。2段ベッドで妹と寝ていましたが、よくこんな部屋に住めるなと衝撃を覚えました。家が貧しかったのは事実で、いつも同じGジャンやトレーナーを着ていた。もうひとつ忘れられないのは彼から“万引き”に誘われたこと。スーパーかコンビニでお菓子を盗もうって。まだ小学校低学年だった僕は、事もなげに万引きを持ちかける青葉に驚かされました」

 お菓子を買う金にも窮していた極貧少年は、10代に入る前から日常的に万引きに手を染めていた。

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