「涙のリクエスト」「少女A」の作詞家「売野雅勇」が明かす“YMO”との秘話 「高橋さん、坂本さんは少年のような人たちでした」

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「友達いないでしょ。同じ同じ」って(笑)

――知的レベルが高すぎて全くついていけません……。作詞時のやりとりはどのようなものでしたか。

売野氏 ミーティングはあまりしませんでした。話をしなくても、坂本さんのメロディと語り合っていましたから。書きながら“この言葉は違う”とわかり、出来上がった詞を読むと“自分が書いたとは思えない”と僕自身も驚くんですね。真の芸術家はその人の作品のなかにいて、雄弁なんです。直しも少なかったですよ。少し前にマネージャーの塚田厚子さんが教えてくれたんだけど、坂本さんは塚田さんに、なぜか小声で「売野さんてさぁ、なんであんな詞が書けるの?」と聞いたことがあったそうです。なぜ小声だったのかはわかりませんが(笑)、坂本さんの曲に書いた詞は、坂本さんのメロディが僕に書かせたものです。

――坂本さんが亡くなった時も、やはり泣かれたんですか?

売野氏:娘の美雨さんのラジオに呼ばれて、放送前にお悔やみを申し上げた時、本当に泣きそうになりました。本番中もラジオだという自覚がなかったら泣いていたかもしれません。そのラジオで美雨さんに話したんだけど、僕が知ってる本当の坂本さんって、無邪気というか、瞬間的にものすごく子供っぽくなる人でした。

――え! 想像がつきません。

売野氏:スタジオで「友達がいない」という話題で盛り上がった時に、誰かが「教授も友達がいないからね」と言ったらドンとウケたんですよ。そしたら坂本さん、体をクネクネさせながら僕の方を向いて「友達いないでしょ。同じ同じ」って(笑)。

――“友達いない仲間”に入れられたんですね。まるで小学生のようです(笑)。

売野氏:そう、2人で一緒に小学生時代に戻ったような感覚がありました。僕が知っている坂本さんはそういう子供っぽいところが魅力的でした。美雨さんも「外ではカッコつけるんですが、本当はあどけなくてイージーゴーイング、気楽な人でした」とおっしゃっていました。世間的には難しい顔をしているイメージがあるかもしれないけれど、それだけの人じゃないんですね。

――高橋さん、坂本さんは売野さんにとってどんな存在でしたか。

売野氏:恩人のように思っています。2人とも陽気で少年のような人たちでした。

売野雅勇(うりの・まさお) 1951年生まれ。栃木県出身。上智大学文学部英文科卒。コピーライター、ファッション誌「LA VIE」副編集長を経て、1981年に作詞家デビュー。1982年に中森明菜の「少女A」が大ヒットし作詞活動に専念、チェッカーズ、近藤真彦、河合奈保子、郷ひろみ、稲垣潤一、オメガトライブなどへ数多くの作品を提供。80年代アイドルブーム、シティポップブームの一翼を担う。90年代以降は坂本龍一、矢沢永吉、中谷美紀、GEISHA GIRLS、SMAP、森進一まで幅広く作品を提供。映画・演劇にも活動の場を広げた。作詞活動40周年を記念し、著書「砂の果実 80年代歌謡曲黄金時代疾走の日々」が文庫化。詞を提供した作品から12曲を厳選し短編小説12篇を書下ろしたコンピレーションアルバム「MIND CIRCUS 午前0時のLOVE STORIES」が発売中。

華川富士也(かがわ・ふじや)
ライター、構成作家、フォトグラファー。1970年生まれ。長く勤めた新聞社を退社し1年間子育てに専念。現在はフリーで活動。アイドル、洋楽、邦楽、建築、旅、町、昭和ネタなどを得意とする。シリーズ累計200万部以上売れた大ヒット書籍に立ち上げから関わりライターも務めた。

デイリー新潮編集部

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