今さら9月3日を「対日戦勝記念日」にしたプーチンの迷走 防大名誉教授は「ナチス・ドイツと同じようにロシアも崩壊する可能性」

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国際法違反を正当化

 1945年8月9日、ソ連は日ソ中立条約に違反して対日参戦。日本がポツダム宣言を受諾した後の8月28日から9月5日までの間に北方四島の全てを占領し、現在もロシアが不法占拠している。この全てが重大な国際法違反なのだが、これについては後で詳述する。

 いずれにしても、「第二次世界大戦終結の日」を9月2日から3日に戻したのはプーチン政権が国内の保守派に配慮したからであり、国民の愛国心が発露するよう狙ったのは明らかだった。とはいえ、あくまでも名称は「第二次世界大戦終結の日」。むき出しの敵意を日本に見せたわけではなかった。

「ところが、ザハロワ情報報道局長は今回、名称を『軍国主義日本に対する勝利と第二次世界大戦終結の日』に変更すると発表しました。ウクライナ侵攻を日本が強く批判したことへの報復だと考えられています。おまけにザハロワ局長は会見で日ソ中立条約を無視して対日参戦したことにも触れ、『流血を終わらせる決定的な貢献』、『日本列島に住む何百万人もの一般市民を含む多くの人々の命を救った』と無理矢理に国際法違反を正当化して居直りとも言える発言に終始したのです(註1)」(同・記者)

ソ連軍の「発砲、略奪、強盗」

 ソ連が8月9日の対日参戦以降、日本人にどれほど悪逆非道の振る舞いを行ってきたか――読売新聞が2006年7月13日に掲載した「[検証・戦争責任]第2部」の第13回、「東京裁判 米主導で『戦犯』訴追」に簡潔にして要を得た記述がある。

《日本は8月14日、ポツダム宣言を受諾し、連合国に通告したが、ソ連軍は攻撃をやめなかった》

《日本軍の戦死者は8万人を数えた。満州在住の民間人はソ連軍の猛攻撃の下で逃げまどい、餓えと寒さが襲う逃避行の中で倒れていった。犠牲者は20万人余といわれる》

《ソ連軍が最終的に北方領土の歯舞諸島を占領したのは、日本の降伏文書調印後の9月5日だった。また、ソ連軍が侵攻した地域では、「無法なる発砲、略奪(略)通行中の自動車強盗など目に余る行為、全満州に頻々(ひんぴん)たり」(秦彦三郎関東軍総参謀長の書簡)》

《「関東軍の所蔵していた食糧、被服、薬品はもとより、満州にあった日銀券、朝鮮銀行券、社債、株券、三七〇五カラットのダイヤモンド、二千百キログラムの金塊……それに工場の施設全体を撤去してソ連領内に持ち去った」(若槻泰雄『シベリア捕虜収容所』サイマル出版会)という有り様だった》

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