もはや停戦は不可能!? なぜウクライナ戦争はここまでこじれてしまったのか
2022年2月24日に始まったロシアによるウクライナへの全面侵攻から1年以上がたち、この戦争はいつ終わるのかという議論があらためて注目されている。侵攻開始当初は、トルコなどの仲介による停戦協議について伝えられていたが、その後、停戦に関する話はパタリと聞かれなくなった。それはなぜか。
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現代欧州政治と国際安全保障が専門で、欧州の視点からこの戦争を注視してきた慶應義塾大学准教授・鶴岡路人氏は、「ある局面以降、停戦は不可能になってしまった。ウクライナにとって、停戦の意味が失われてしまったのだ」と述べる。世界が一刻も早い停戦を望んでいるにもかかわらず、なぜそのような結論になるのか。
鶴岡氏の新著『欧州戦争としてのウクライナ侵攻』から、要点を再構成してお届けしよう。
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「命をかけても守るべきもの」とは
命をかけても守らなければならないものがある。ウクライナの抵抗については、これに尽きるのだろう。つまり、ここで抵抗しなければ祖国が無くなってしまう。将来が無くなってしまう。しかも、このことが、軍人のみならず一般市民にも広く共有されているようにみえることが、今回のウクライナの抵抗を支えている。
さらに重要なのは、抵抗には犠牲が伴うが、抵抗しないことにも犠牲が伴う現実である。ロシアとの関係の長い歴史のなかで、このことをウクライナ人は当初から理解していたのではないか。ロシア軍に対して降伏したところで命の保証はないし、人道回廊という甘い言葉のもとでおこなわれるのは、たとえ本当に避難できたとしても、それは強制退去であり、後にした故郷は破壊されるのである。
2022年4月以降に明らかとなった首都キーウ近郊のブチャやボロディアンカにおける市民の虐殺は、ロシア軍による占領の代償の大きさを示していた。ロシア軍による占領にいたる戦闘で犠牲になった人もいるが、占領開始後に虐殺された数の方が多いといわれる。抵抗せずに降伏しても、命は守ることができなかった可能性が高い。他方で、ブチャの隣町のイルピンは抵抗を続け、一部が占領されるにとどまり、結果として人口比の犠牲者数はブチャよりも大幅に少なくすんだようである。地理的には隣接していても、運命は大きく分かれた。
ウクライナにとっての「平和」とは
こうした現実が明らかになってしまった以上、ウクライナにとっての平和は、ロシア軍が国内から完全に撤退したときにしか実現しないことになる。これは、今回の戦争における構図の大きな変化である。
そして、ロシアに占領されている場所がある限り平和があり得ないとすれば、停戦の意味が失われる。停戦とは、その時点での占領地域の、少なくとも一時的な固定化であり、ブチャのようなことが起こり続けるということになりかねない。これを受け入れる用意のあるウクライナ人は多くないだろう。
結局のところ、停戦のみで平和はやって来ないのである。従来は、ウクライナ政府も停戦協議を重視してきた。侵略開始から数日ですでに停戦を呼びかけたのはゼレンスキー・ウクライナ大統領である。しかし、ブチャの惨状が明らかになるなかで、停戦自体を目的視することができなくなった。あくまでも、平和につながる限りにおいて停戦を追求するという姿勢への転換である。
そして実際、2022年3月末のイスタンブールでの停戦協議では実質的な前進が伝えられたものの、直後にブチャの惨状が明らかになり、交渉機運は急速に萎むことになった。その後も停戦協議はオンラインで断続的におこなわれたようだが、ほとんど表に出てこなくなった。ロシア側もその後は特に東部における支配地域拡大に重点を移すことになった。
それではウクライナは自らの力でロシア軍を追い出すことができるのか。これが最大の問題である。ゼレンスキー大統領は、2022年4月23日の会見で、ロシア軍が「入り込むところすべて、彼らが占領するものすべて、私たちはすべて取り戻す」と強調した。停戦よりも、ロシア軍を追い出すことが先決なのである。
戦争による犠牲が日々積み重なっていくことを考えれば、早期終戦が望ましいこと自体は変わらない。しかし、軍事的にウクライナが勝利する早期決着は現実には想定し得ない。そうだとすれば、ウクライナには、抵抗を続け、少しでもロシア軍の占領地域を縮小していくほかなく、NATO諸国を中心とする国際社会は、武器の供与などを通じてそれを支えていくということになる。停戦を唱えるのみでは平和は実現しないのである。
※『欧州戦争としてのウクライナ侵攻』から一部を再編集。