レッド・ツェッペリンの初来日ライブで観客が殴り合い、ジミー・ペイジの宿泊先に突撃取材…「ミュージック・ライフ」元編集長が語る“伝説のミュージシャン”

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 50代以上の洋楽ファンにはたまらない1冊である。1937年に創刊され、戦中戦後の曲折を経て、98年の休刊まで、洋楽の魅力と素晴らしさを読者に提供し続けた雑誌「ミュージック・ライフ」。同誌に掲載された貴重な写真や復刻記事を厳選した「ミュージック・ライフ大全」がシンコーミュージック・エンタテインメントより3月に刊行された。スターたちの懐かしい顔、驚きのオフショット、思わずニヤッとしてしまう名物記事の数々……。日本における洋楽黄金時代でもあった79年から90年まで、4代目の編集長を務めた音楽評論家の東郷かおる子さんに当時の思い出をうかがった。(前後編の前編)

私は「ミュージック・ライフ」に入るんだと思っていた。

 東郷さんの父親は進駐軍関係の仕事をしていた。米兵が自宅に遊びに来たり、一緒に江の島へ海水浴に行ったり……。そのため自然と、映画は洋画、音楽は洋楽、それも平和なアメリカンポップスを聴いて育った。そこへ殴り込みをかけるかのように表れたのがビートルズだった。

「私の高校時代といえば、西郷輝彦さん、舟木一夫さん、橋幸夫さんの“御三家”全盛時代。でも、私はまったく興味がなくて。ビートルズの熱狂的ファンでした。絶対にポール(マッカトニー)と結婚するんだと夢見る高校生だったんです」

 当時、「ティーンビート」という雑誌もあり、同じくビートルズを特集して売り上げを伸ばしていた。だが、東郷さんは日本人で初めてビートルズとの単独会見に成功した星加ルミ子さんが2代目編集長を務める「ミュージック・ライフ」を愛読していた。

「1966年、ローリング・ストーンズが表紙の号の巻末に、社員募集の広告が出ていたんです。私は高校3年生。大学に行く気はありませんでした。学校が紹介してくれる就職先は銀行とかお堅い会社ばかり。その頃の私は『ミュージック・ライフ』に行くんだと、勝手に思っていたんです。当時の社名は新興楽譜出版でした。筆記試験を受けて面接だったのですが、3人いた面接官の中に星加さんがいてね。私、ファンレターを出したくらい星加さんのことも好きだったんです。だから、星加さんに向かって一生懸命に喋って。あと、端に座っていたオジサンが一番偉いのかなと思って愛想よくしていたんですけど、その人は経理部長で。草野昌一社長 は真正面に座っていてね」

 受験者はかなりの数だったが、見事、東郷さんは合格する。

「ウッドストック・フェスティバル」の衝撃

 入社して最初の数カ月は経理の仕事だった。ただ、当時はワンフロアに全ての部署が入っており、ひょいと首を伸ばせば憧れの編集部は目と鼻の先だった。

「こっそり編集部に行って、ゴミ箱にある青焼き(印刷の製版フィルムを焼き付けた校正紙)を見たり、レイアウト用紙を見たりして。あぁ、ここが『ミュージック・ライフ』編集部なんだ、と心躍らせていました。当時、星加さんの発案・司会で、ビートルズの写真を見せながら音楽を聞かせるスライドショーを各地で開いていました。今と違って彼らの写真や音楽に触れる機会がなかっただけに、どこへ行っても盛況でした。ある日、星加さんが急病で大阪でのショーに行けなくなり、草野社長の指名で私が代役を務めることになったんです」

 度胸があると言うより、もともと好きなことを喋るのだから、と特に躊躇することもなかったという。そうした勤務ぶりも評価されたのだろう。入社から1年ほどで憧れの「ミュージック・ライフ」編集部へ異動となった。

「音楽専門誌なので、編集部に試聴室があるんですよ。各レコード会社から送ってくる新譜を聴くんですけど、もうフルボリュームで聴くんです。初めて手掛けた記事は、『今月のVIP』というコーナーがあって、誰かを取り上げて書いたんですけど、誰だったか覚えてないなぁ。最初の署名入り記事は、1968年製作のビートルズ初のアニメ映画『イエロー・サブマリン』を紹介する4ページの記事でした」

 編集部には男性が2人と、あとは女性のスタッフが数名。新人でも数ページの記事や読み物を任される。明確な文章指導などはなかったが、ほぼ自己流で原稿を書き続けたという。多忙な毎日に追われる中、歴史的イベントのニュースがアメリカ・ニューヨークから飛び込んできた。1969年の「ウッドストック・フェスティバル」である。

「あの場所で具体的に何が起こっていたのか、私たちは1年後、映画で全貌を知ることになります。当時は裸のヒッピーが乱交パーティーをしているというイメージしかなかったけど、映画を見て圧倒されました。こんな世界が海の向こうでは始まっているんだと。ビートルズの衝撃もありましたが、ウッドストックのそれは、私自身の音楽に対する意識を根底から変えてしまうものでした」

 そして1971年、「黒船」が日本にやって来る。

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