映画史に名を残す「3人の名監督」が、観客をあっと驚かせた「ベートーヴェン名曲」の意外な使い方

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 溝口健二、タルコフスキー、キューブリック……いずれも映画史上に燦然(さんぜん)と輝く傑作を残した名監督である。

 じつはこの三人の巨匠には、意外な共通点がある。作品世界を表現するために、ベートーヴェンの名曲をとても効果的に使っていることである。

 はたして、彼らはベートーヴェンの名曲をどう利用したのか? 岡田暁生さんと片山杜秀さんの対談本『ごまかさないクラシック音楽』(新潮選書)から、一部を再編集してお届けしよう。

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片山:溝口健二の昭和23年の映画に、『夜の女たち』という作品があります。田中絹代と高杉早苗主演で、終戦直後、戦争未亡人が夜の町でたくましく生きていく物語です。この音楽を、主に戦前に活躍したクラシック系の作曲家、大澤壽人が担当しているんですが、これがベートーヴェンの《運命》なんですよ。

岡田:へえ~。

片山:冒頭から「ジャジャジャジャ~ン!」と始まって、《運命》のなかの旋律をいろいろいじくりまわして、一種の《運命》変奏曲みたいにして、映画全体に音楽を付けているんですよ。しかもジャズオーケストラみたいな編成のバンドで。その音楽をバックに、女たちは、男に搾取されながらも、ふてぶてしく、終戦直後の荒波のなかを生きていく。ということは、終戦直後の昭和23年の時点でもまだ、ベートーヴェンは、たくましく生きていくことのシンボルになっていたわけです。この映画は、溝口の不振期の作品のように言われていますけど、いかにも溝口好みの題材で、決して失敗作ではないと思うんですけどね。

岡田:大澤は裕福な家庭に生まれた関学ボーイ、阪急沿線関西ブルジョワの洒脱イメージで、早くからボストンやパリに行ったりして、ベートーヴェン的な苦悩ポーズとはおよそ対極と思っていたけど。

片山:暗い「運命」の中で打ちひしがれながら、そこからベートーヴェン的な勝利に向かって、幻想を抱きながら懸命に生きている女たちの姿が、占領時代を思わせるアメリカ風軽音楽バンド編成によって、演奏されている。何重もの意味が重なっている。

『時計じかけのオレンジ』のベートーヴェン

岡田:その後、1970年のベートーヴェン生誕200年を迎えると、ポスト・モダン的なベートーヴェン・パロディが出始めます。あのころから、ベートーヴェンの持っていた神話的な意味を、反転させようとする動きが出てくる。

片山:《第九》が流れるキューブリックの映画『時計じかけのオレンジ』も1971年でしたね。

岡田:あれは強烈でした。主人公の凶悪極まりない少年が、ベートーヴェン好きなんですよね。しかも、ロック感覚で《第九》を聴いている。そんな狂暴な不良少年が、病院の薬物治療で性格矯正されて、借りてきたネコみたいになっちゃう。ところが、ひょんなはずみで、再び凶悪性を取り戻す。それを寿いで、バックで壮大な《第九》の合唱が鳴る。つまり狂暴性という人間性を少年が取り戻した象徴として、《第九》が流れるんですね。ものすごく凝った使い方でした。

片山:あの映画の原作者、アンソニー・バージェスは、作曲家でもあるんです。《24の前奏曲とフーガ》なんて作曲しているんですよ。そのほか、ピアノ曲など、かなりの大作もCD化されています。

岡田:そうなんですか。

片山:しかし、あの映画における《第九》の使い方は、人間の、良くも悪くも、最大限の前向きのエネルギーの発動源としての音楽でしたね。

岡田:その前向きの熱いエネルギーの中には、確かに獣性みたいなものがあり、それを回復させる音楽というような演出でした。獣性を矯正されて抜き取られてしまうと、ベートーヴェンが謳った人間性の熱さもなくなる、という話でしょうか。

 それから、この時期に作られたSF映画で、ベートーヴェンが流れる作品をもうひとつ。チャールトン・ヘストンが主演した『ソイレント・グリーン』(1973年)です。ここで使われるのは交響曲第六番《田園》。第三番《英雄》や五番《運命》のような「みんなでがんばろう!」ノリとは対照的な、まさに田園的なベートーヴェン。ところが『ソイレント・グリーン』でそれがどういう使われ方をするかといえば……。

片山:食料不足で滅亡寸前の人類が、実は人間を食料に加工して食べているという、恐ろしい映画ですね。

岡田:あの映画のなかに、おカネを出せば安楽死させてもらえる施設が出てくる。主人公の友人が、もうこんな世界で生きていたくないと、安楽死施設へ行く。ベッドに横たわり、周囲に美しいお花畑の映像が流れる。すると、そこで《第九》ならぬ《田園》が流れてくる。言葉を失うような場面でした。ベートーヴェンの音楽はこういう使い方もできる。

 あと、もうひとつベートーヴェンを使っている映画があります。タルコフスキーの『ノスタルジア』(1983年)ではベートーヴェンの《第九》を使っている。

片山:ああ、そうでした!

岡田:終末待望論みたいなものに取り付かれている男が、焼身自殺する。その際、男の子にテープデッキを持ってこさせて、スイッチを押す。すると、《第九》が始まる。面白いのは、カセットテープだからテープがよじれて、音楽がストップするんですよ。その部分が「すべての人々は兄弟となるのだ」と歌っているんです。それを流しながら、男は焼け死んでいく。実に哲学的な《第九》の使い方でした。

片山:これもまたベートーヴェンの呪いですね。決して実現しない夢で人間を呪縛して滅ぼしてゆく。

※岡田暁生・片山杜秀『ごまかさないクラシック音楽』(新潮選書)から一部を再編集。

デイリー新潮編集部

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