「枯れた技術」を使って新しい市場を作り出す ――宮本彰(キングジム社長)【佐藤優の頂上対決】

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「町の発明家」のDNA

佐藤 宮本社長は創業家の4代目社長です。早くから会社を継ぐつもりでいらしたのですか。

宮本 はい。弊社は私の祖父・英太郎が昭和2(1927)年に創業しましたが、男の孫は私しかいなかったんですよ。だからもう小さい頃から「次の代はお前だ」と散々言われてきました。よく覚えているのは、小学校低学年くらいから本社旧ビル前で行われていた在庫処分セールです。私も道行く人に「いらっしゃいませー」と呼びかけて、売れると祖父がお小遣いをくれた。当時から商売は面白い、と洗脳されてきた気がします。

佐藤 おじい様は、大変なアイデアマンだったそうですね。

宮本 「町の発明家」とも言うべき人物でした。もともと木材を商っていましたが、ある時、その顧客名簿を見ながら気が付いたことがあったんですね。それは得意先から送られてくる葉書に書かれた社名・住所の大きさがほぼ同じだったことです。

佐藤 目のつけ所がいい。

宮本 それを切り取って、切り込みを入れた台紙に差し込めば、書く必要もないし、並べ替えることもできる。こうしてできたのが、弊社の原点となる「人名簿」です。

佐藤 まさにファイリングです。

宮本 祖父は、現在のパイプで閉じる形のファイルも考案しましたし、溶着式のクリアーファイルを日本で初めて作り出しました。

佐藤 「世の中にないものを作る」は、創業者からのDNAなのですね。

宮本 祖父の「新しいものを作りたい」という気持ちは規格外で、ある時「世界共通語を作りたい」と言い出したこともありました(笑)。子供心に返答に困った記憶がありますが、そうした祖父の自由でユニークな発想はこの会社にいまも息づいていると思います。

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