小倉少子化担当大臣、極めて複雑な家庭環境を“兄”が明かす 「父の滞納税金は3400万円」 大臣は相続放棄していた

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「女性関係が派手で結婚と離婚を繰り返していた」

 4月1日に発足した「こども家庭庁」を率いる小倉將信(まさのぶ)少子化担当大臣(41)。過去の2度のスピード離婚により人選に疑問の声も上がる小倉大臣だが、彼の父もまた結婚と離婚を繰り返す奔放な人生を送っていた。大臣の“兄”が明かした、知られざる家庭環境とは――。

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 小倉大臣の家庭環境をひもとく上で重要なのが、東京都北区王子のとある土地だ。この土地は1966年に將信氏の父が購入し、翌年、地上5階建てのビルを建設している。が、將信氏が1歳になる直前の82年、このビルと土地の所有権が父から將信氏と母、彼の唯一のきょうだいである姉を含む10名の親族らに贈与されるのである。さらに、その時の登記簿を確認すると、贈与された將信氏と母、姉の姓は小倉ではない別の姓になっている。

 まだハイハイ程度しかできない赤ん坊にビルと土地が贈与され、さらに姓が違っていたという事実。そこに將信氏の複雑な生育環境が示唆されていた。

「贈与された10人は將信さんの父の前の妻やその子、愛人らなんです」

 と明かすのは將信氏の“腹違いの兄”である。29年生まれである將信氏の父は確認できるだけで3度結婚しており、この兄は最初の妻の息子にあたる。

「僕の父は女性関係が派手で結婚と離婚を繰り返していました。もともと、父は戦時中に九州に疎開して、医学専門学校に入り、医師になりました。母は薬剤師をしており、九州で知りあった。僕が生まれ、50年代後半に一家で上京し、北区の十条で診療所を始めました。東京で3人の子が生まれ、母とは僕を含め4人の子を育てることになりました」(同)

 60年代に入り、学生運動が激しくなった後、王子に前述したビルを建て、飛鳥山病院を開業する。その後、父は都内の医療法人を買収するなどし、事業を広げ、財を成していった。世田谷区成城の約180坪の敷地に建つ豪邸に一家が移るのもこの頃だ。しかし、女性関係の派手さからか、70年代に夫婦は離婚してしまう。

2回目の結婚中に別の女性から「子どもを認知してくれ」

 兄が続ける。

「都内に何軒も家を持つようになり、富裕層の仲間入りをしました。が、北海道出身の看護師だった愛人との間に子どもができてしまった。おそらく、その子は認知していないと思います。僕は幼い時分のその子と何度か会ったことがあって、“父親の顔が見たい”と言うので病院の近くまで連れて行って“あれが父親だよ”と教えてあげたりしました」

 ほどなく、父はすらっとしたファッションモデルと見紛う美貌の女性を伴うようになる。それが2人目の妻だ。10歳以上も年下だった。数年に及ぶこの妻との婚姻期間中にも女性問題が噴出することになる。別の女性から夫婦のもとへ「うちの子どもを認知してくれ」と連絡が入ったのだ。その女性こそ將信氏の母その人だった。

 2人目の妻と結婚しながら、將信氏の父は自身が経営する病院で事務をしていた女性との間にも將信氏を含む2人の子どもをもうけた。

「離婚歴や婚外子がほかにもいることがわかり、たまりかねた奥さんは離婚することにしました」(同)

 そして1984年、將信氏の母は父と籍を入れ、小倉姓となる。

「破天荒なお父さんに振り回され、だいぶ苦労されたようです」(父の病院関係者)

 そのため、

「將信さんの両親が離婚したのでは、と言われていました」(同)

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