53歳で「世界一周ヨットレース」優勝 多田雄幸はなぜ世界中にファンを生んだ?(小林信也)
神奈川県三浦市の福寿寺境内に、西堀栄三郎、植村直己、多田雄幸、三人の顕彰碑がある。
西堀は第1次南極観測隊の副隊長兼越冬隊長。1956年、日本登山隊が初の8千メートル級登山(マナスル登頂)に成功した際も中心的な役割を果たした登山家だ。
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植村直己は70年、日本人で初めて世界最高峰エベレストに登頂。世界初の「五大陸最高峰登頂」も成し遂げた。78年には犬ゾリ単独行で北極点到達に成功。これも世界初の快挙だった。
多田雄幸は二人より知名度は低いかもしれない。だが、仲間たちが西堀、植村とともに顕彰碑を建てるほど敬愛される人物だった。多田は植村が北極点単独行に挑んだ時、献身的にサポート隊員も務めた。
多田が脚光を浴びたのは83年5月。ヨットの第1回アラウンド・アローン(シングルハンド世界一周レース)クラスIIで自作のヨットに乗って優勝した時だ。ノーマークだった53歳の多田が世界中の予想を覆しトップでゴールした。
10万キロにおよぶ大海原の旅を、高さ14メートルのマストが受ける風力だけを頼りに、たったひとりで航行する。大嵐の中、大海に浮かぶ全長13.2メートル、幅3.95メートルのヨットは木の葉ほどの存在だ。幾度も転覆しながら、自力で起き上がり、水をかい出し、生き延びた。
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