40年前の開業当日、「東京ディズニーランド」へ行った記者の証言 週刊誌の予想はことごとく外れた

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まぼろしの交通大混雑レポート

「それと、開園日にはあまりの混雑でまともな時間にTDLに着けなかったとの、怒りのレポート記事も予定されていたんです」

 1983年4月15日(金)の開園日、取材チームは数班に分かれてTDLに向かった。

「というのも、当時のTDLへは、東西線・浦安駅から30分近くかけてバスで行くしかなかったんです。TDLの前に舞浜駅ができるのは、1988年12月。いまの若い方々は驚くでしょうが、開園してから約5年間は、浦安駅からバスやタクシーで行ってたんですよ」

 そんな不便な場所の遊園地に行くには、どれだけの苦労が必要かをレポートしようというわけだ。そこで、都心から車で直行する組、浦安駅からバスで行く組、タクシーで行く組の3班に分かれ、記者たちは眠い目をこすりながら、朝8時15分の開園時間を目指して家を出た。森重さんは、車による直行組だった。

「いつも取材でお世話になる個人タクシーで、朝の7時前に中野の自宅を出ました。予定では、TDL周辺は大渋滞で、到着は9時か10時になるはずでした」

 ところが、どの班も、呆気なく8時前に到着してしまう。

「この日は雨模様で、道路もガラガラ。少なくとも車でTDLに向かう人は、それほどいなかったんです。呆然となって8時前に編集部へ電話しても、まさかそんなに早く着くとは思っていないので、デスクもほかの記者も誰もいませんでした」

 こうして、“交通大混雑レポート”は、まぼろしとなった。

 あれから40年。いま、TDLを含む東京ディズニーリゾート(TDR)がどういう状況かは、いうまでもない。開園時の年間目標1000万人なんてとても無理といわれたが、3000万人を突破した年もある。

「週刊新潮」の“予想”は、ことごとく外れたということか。

「いや、当時の記事をよく読んでください。TDLに好意的な識者のコメントも、ちゃんと載ってるんですよ」

 そう言われ、隅から隅まで見てみると……。

《「結構なことじゃないですか」と是認する人もいないではない。会田雄次・京大名誉教授だ。》

 あらためて言うまでもないが、会田雄次氏(1916~1997)とは、イタリア・ルネサンス研究や、日本文化論で知られる保守派の大論客である。中公新書の創刊ラインナップ(1962年)の一冊でいまでも読まれている名著『アーロン収容所』の著者でもある。このとき、67歳。

《「アメリカ人は、その文化を押し付けるのが大好きな人種。(略)そして日本人は、世界でも珍しいくらい順応性に富んでいて、すぐにそんなものを消化してしまう。だいたい、日本人というのは、昔から洋行気分を味わうのが大好きなんです。しかも、今度のディズニーランドは、本場のそれよりも立派だというし、京都でも、期待している人は多いんですよ」》

 会田教授のほうが、はるかに大人だったということか。

デイリー新潮編集部

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