「スプラッシュ・マウンテン」が「黒人差別」と非難される理由はどこに?

国際

  • ブックマーク

黒人差別だと問題視されて

 アメリカ・フロリダ州のウォルト・ディズニー・ワールドの人気アトラクション「スプラッシュ・マウンテン」が来年1月23日に閉鎖されることが発表された。理由は、アトラクションのベースとなった映画「南部の唄」に黒人差別の要素があることが問題視されたからだとされている。「南部の唄」は1946年に公開されたディズニー映画で、実写とアニメを組み合わせた作品だ。ただし、ある事情から現在は「幻の作品」となっている(事情については後述)。

 このニュースはディズニーファンならずとも何重にも驚きだったのではないだろうか。

 そもそも「スプラッシュ・マウンテン」にベースとなる映画があること自体、あまり知られていない。さらにそれが差別問題で批判されていることに至っては、よほど詳しい人でない限りは知らない。

 もっとも、実はこのアトラクションの「差別問題」は昨日今日指摘されたものではない。

 一体、「スプラッシュ・マウンテン」とはどのように生まれ、なぜ「差別だ」という批判の声があるのか。

 ディズニーランド誕生の経緯やアトラクションの背景を解説した『ディズニーランドの秘密』(有馬哲夫・著)をもとに見てみよう(以下、同書をもとに編集部で再構成しました)。

 ***

原作は「南部の唄」

「スプラッシュ・マウンテン」というアトラクションではゲストは最後にライドごとイバラの茂みに落ちて水を撥ね散らし(スプラッシュ)ますが、なぜイバラの茂みにスプラッシュするのか、なぜウサギ、カメ、クマ、カエル、キツネが出てくるのか、なぜクマが縄でぶらさげられているのか、なぜウサギがキツネに縄で縛られているのか、なぜウサギが「笑う場所」のことを言っているのか、天井に蜂の巣がたくさんついているのか、そもそもスプラッシュ・マウンテンのモデルはなんなのか、知っている日本人はまずいないでしょう。

 一方、アメリカ人にとっては、ディズニーランドで、このライドほどストーリー性が豊かなものはありません。

 このライドは「南部の唄」という映画をテーマとしているのですが、この映画もあるアメリカ人によく知られたあるストーリーに基づいているのです。

 それは、ジョエル・チャンドラー・ハリスという人が書いた「リーマスおじさんのお話」です。これはほかのものと一緒に9冊シリーズになっています。動物を擬人化して教訓的な内容を語るのでアメリカのイソップ物語と呼ばれます。

 それぞれの一冊のなかで、リーマスおじさんという話好きの老人は、ウサギやキツネやクマやカエルやカメなどを主人公とする挿話を一話ずつ聞き手に語っていきます。

「南部の唄」ではこのなかでも「クマさんがウサギさんにだまされて、ひどい目にあわされた話」、「キツネさんのつくったコールタールの人形」、「ウサギさんが笑いにいく場所」という挿話を取り上げています。

 先ほど触れた疑問、「なぜイバラの茂みにスプラッシュするのか」「なぜウサギ、カメが~」等々の答えがここにあります。つまり、ゲストはこれらの挿話の場面を一つ一つ見たあと、最後に物語に登場するウサギと同様、イバラの茂みに投げ入れられるという趣向なのです。

 ただし、実際の映画「南部の唄」は、原作の「リーマスおじさんのお話」からかなり改変されており、アトラクションはディズニー映画版に基づいています。

今では入手困難の映画に

「南部の唄」は、日本で1951年に上映され、1992年にビデオ・ソフトが販売されましたが、現在では、再上映も放送もされず、ビデオ・ソフトもDVDも販売されていません。

 このため、「南部の唄」を現在見ることは困難なのです。

 では、なぜ「南部の唄」は今見ることができないのか。また、なぜそのような映画をテーマとするアトラクションを造ったのか。

 これは当然の疑問です。これらの問いに答えていきたいと思います。

 まず、なぜ「南部の唄」は現在見ることができないのかということですが、これはアメリカの黒人団体が1946年に初上映されたときから、この作品に黒人差別が含まれていると抗議し続けたからです。

 たしかに、この作品のビデオ・ソフト(アメリカ版)を見直してみると、キツネさんやクマさんは黒人のように描かれ、話す英語にも南部の黒人独特の言葉遣いとアクセントが認められるのに対し、ウサギさんは白人的に描かれ、話す言葉にも黒人のようなクセはありません。

 黒人団体がとりわけ問題にしたのは、主人公のリーマスおじさん役である黒人の召使が、かなり誇張されて描かれているという点でした。つまり、不自然に皮膚が黒く、汚く見えるうえ、目もやたらとぎょろぎょろしていているというのです。

 さらに実際に黒人奴隷がいた南部プランテーションでは、白人農場主が黒人に一方的に非人道的な労働と生活を強いていたのに、この映画では白人と黒人がそれなりに仲良くやっていたように描かれているという理由がこれに加わります。

 この抗議に対してディズニー側は、こう答えてきました。

「アメリカの民話をたどり、それを映画によって保存することのほうが、表明されている懸念(黒人差別のこと)より重要だと考えています」

 この考えに従ってディズニー側は、この作品が1946年に初上映されたあとも、1956年、1972年、1980年、1986年と再上映してきました。

 しかし、1986年以降は再上映せず、ビデオ・ソフトの製造もしませんでした。

 このあと、1992年から日本でこの作品のビデオ・ソフトの販売が始まりました。この年、東京ディズニーランドに「スプラッシュ・マウンテン」が新しいアトラクションとしてオープンしたからです。

 このビデオ・ソフトは、約30万本を売ったのち、1995年に製造を止めます。30万本というのは今では途方もない大ヒットですが、当時でもかなりのヒットです。

 このころの関係者によると、売れているのに製造を止めたのは、日本で問題になったわけではないが、アメリカで問題になっているので自粛したということです。

 これで、なぜ「南部の唄」が現在見られなくなっているのかはわかりました。次は、ではなぜこの映画を「スプラッシュ・マウンテン」のテーマにしたのかということです。

アメリカの民話というポイント

 前述の通り、この映画への抗議は1946年の初上映のときから存在していました。一方、アメリカでのアトラクションがオープンしたのは1989年のことです。

 黒人団体の抗議に対する対抗措置としてこのようなことをしたのでしょうか。

 ディズニーの一員としてイマジニア(ディズニーランドの背景を描いたり、建物や街の模型を作ったりする職種の人)たちは抗議を不快に思っていたでしょう。

 とはいえ、それへのあてつけといった雑念が入ったのでは、複雑なデザインで、精緻な構造を持ち、高度のテクノロジーが随所に使って巨額の予算を費やすアトラクションは造れません。

 イマジニアたちは、さまざまなことについて勘案し、細かい検討を加えた上で「南部の唄」をテーマに選んだのです。

 その第一は、アトラクションにしやすいということです。この映画は実写の部分とアニメーションの部分から成り立っていますが、アニメーションの部分の舞台は小高い丘や斜面やそこに続く坂です。とくにキツネさんの住んでいる丘は、現在の「スプラッシュ・マウンテン」を見てもわかるように、とても絵になります。

 第二の決定要因はテーマとカテゴリーのバラエティーです。

「スペース・マウンテン」のテーマは未来で科学です。

「ビッグサンダー・マウンテン」のテーマは過去で冒険です。

 こう考えると、過去でも未来でもなく、ファンタジーがテーマになっているマウンテンがないことに気が付きます。

 しかも、ディズニーの本領であるアニメーション映画をテーマにするマウンテンはそれまでなかったのです。

 さらに当時はアメリカの憲法制定200周年(1987年)が近づいていたという要素もありました。つまり、アメリカに起源をもつアメリカ的なものが望ましかったのです。

 あまり意識されていませんが、ディズニー映画の原作のほとんどが実は、ヨーロッパの民話や童話です。「白雪姫と七人のこびと」「ピーター・パン」「クマのプーさん」「シンデレラ」等々、いずれもアメリカのものではありません。これに対して、「南部の唄」の原作はアメリカを代表する民話「リーマスおじさんのお話」です。

 ほかに、アメリカの童話や民話を原作にしている映像作品としては、「トード氏」と「ダンボ」がありますが、すでにファンタジー・ランドのアトラクションとなっていて、しかも人気があり、廃止の予定はありません。

 こうなると、「南部の唄」が「スプラッシュ・マウンテン」のテーマになるのが一番自然だったことがわかります。

なぜ「スプラッシュ」なのか

 原作や「南部の唄」に出てくるコールタールの人形は、アトラクションのなかに置きませんでした。言うまでもなく、黒人を連想させるからです。

 また、抗議の的になった黒人の召使もまったく出しませんでした。

 設計をしたイマジニアは、このアトラクションに当初「ジッパディ・リバー・ラン」という名前をつけました。映画の主題歌で現在でもディズニー音楽の代表曲となっている「南部の唄」が「ジッパディ・ドゥダー、ジッパディ・エー」で始まるので、これにちなんだのです。

 ところが、新しくディズニーの最高経営責任者になったマイケル・アイズナーは、これを「スプラッシュ・マウンテン」に変更するように命じました。

 当時、ダリル・ハンナとトム・ハンクス主演の「スプラッシュ」という映画が大ヒットしていたので、このタイトルを使えというのです。

 しかも、アイズナーはこのアトラクションのどこかに人魚がでてくる場面を入れるようにという変な注文もつけました。

 この映画が、人魚のハンナがハンクスに恋をして人間になり、現代のニューヨークにやってきて恋物語を展開するという「人魚姫」の20世紀版だったからです。

 つまり、アイズナーは、自分が会社のトップになって初めてヒットした映画なので、これまた自分が来てから初めてオープンする新しい大型アトラクションのどこかに、この映画の成功の記録を残したかったのです。

 しかし、どう考えてもこれは無理な注文です。

 ウサギさんやキツネさんやクマさんの話に人魚が出てくるのは、どういうふうにもっていっても不自然になります。

 しかも、名前を「スプラッシュ・マウンテン」にしたのでは、このアトラクションと「南部の唄」のつながりがわからなくなってしまいます。

 ですが、相手は会社のトップです。設計者は彼の顔をつぶすわけにはいきません。

 そこで、人魚をどこかに出すというほうは譲歩してもらうかわり、名前のほうはアイズナーに譲ることにしました。

 こうして1989年、「スプラッシュ・マウンテン」はディズニーランドにオープンしました。

 ***

 経緯を見ると、もともと「黒人差別」といった声は存在していたものの、アトラクションはそのあたりも配慮されて造られていたことがわかる。しかし、アメリカではオープン時よりもはるかにこの種のことに厳しい目が向けられるようになっている。名画「風と共に去りぬ」ですら、黒人差別的な描写が問題となり、一部で配信停止になったことも報じられた。

 今回の閉鎖もその流れの中にあるといえるだろう。

デイリー新潮編集部