【追悼】ボビー・コールドウェル「坂本九さんに親しくしてもらいました」

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目の前で熱唱してくれたボビー

 2度目のインタビューは2014年。カバーアルバム「アフター・ダーク」をリリースしての来日公演だった。1940年代のスタンダードナンバーを中心に歌い、自分の代表曲の1つ、「風のシルエット」も新しいアレンジで披露した。

「魅力あるスタンダードナンバーを100年後、200年後まで伝えるのも、僕にとってはオリジナルの曲を歌うのと同じくらい大切な役割」

 キャリアを重ねたアーティストならではのことも話していた。

「どの曲にも、僕の心に深く突き刺さるメロディや歌詞があります。リスナーの皆さんと喜びを分かち合いたい」

 そう語っていた。
 ボビーはとにかくサービス精神あふれる人だった。

 このインタビューの後、部屋から出ようとすると、彼に呼び止められた。
 ふり向くと、思いもよらぬ提案をされた。

「今、ここで僕が1曲歌いましょう」

 にっこり笑っていた。自分の耳を疑った。
 彼がその部屋にあったオーディオの電源を入れると、管楽器のイントロが流れる。
「瞳は君ゆえに」
「アフター・ダーク」に収められているナンバーだ。

 ボビーはソファに腰掛ける僕の目の前に立ち上り、首でカウントをとる。身体を揺らして歌い始めた。
 歌うボビー。聴く僕。アーティストと客は1対1。
 極上のエンタテインメントの空間になった。

「ラウダ―(louder)! ラウダ―!」

 2コーラス目に入ると、腕を上に振り上げながら叫んだ。

 もっとヴォリュームを上げるようにという指示だ。レコード会社のスタッフが慌ててオーディオに駆け寄り、フェーダーを上げる。

 ボビーの体中に力がみなぎっていくのがわかった。後で聞いたら、アルコールをやめ、大好物のチーズバーガーをひかえたら、身体が絞れてきて、強く歌えるようになったという。

 音量が上がり、ボビーのテンションもどんどん上がっていく。このときばかりは、AORのシンガーというよりもラウドなロックヴォーカリストという感じだった。

 数多くのアーティストに取材してきた僕にとっても、忘れられないインタビューになった。

 今もこの人の歌を聴くと、日本が豊かだった1980年代がよみがえる。
 ご冥福をお祈りします。

神舘和典(こうだてかずのり)
1962(昭和37)年東京都生まれ。ライター。音楽をはじめ多くの分野で執筆。『墓と葬式の見積りをとってみた』『新書で入門 ジャズの鉄板50枚+α』など著書多数。

デイリー新潮編集部

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