中3の村上宗隆を目覚めさせた先輩・吉本亮の助言とは? 長距離打者同士にしか分からないメッセージが(小林信也)

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ホークスのドラ1

 ネット上に、村上が中学2年の時に吉本が撮影した打撃練習の動画があった。現在と打ち方がまったく違う。まず捕手寄りに体重を移動し、反動をつけて打つ。申し訳ないが、ごく平凡な打者だ。その印象を正直に伝え、吉本の話を聞くことができた。吉本は言った。

「中学2年の頃は体も大きくないし、力がなくて、呼び込んで打つことができなかった。3年になってからですね。センターから左方向に強い打球を打てるようになったのは」

 昨季、NPB史上初の5打席連続ホームランを打った時、村上は左右の体重移動をほとんどせず、真っすぐに重心を落としたまま、内部の動きだけで体を回転させてバットを振っている。ホームラン打者にほぼ共通する技術の核心を、村上は中学3年時の「レフトへの引っ張り」で培った。

 吉本は中学時代の村上を語る中で、「今でも忘れられない当たりがある」と言って、こんな話をしてくれた。それは中3の練習中、村上が打った一本のホームランだ。それまでとは異次元の大きな弧を描いてライトの柵を越えて行った。その残像を鮮明に覚えている。

「いまのは飛んだなあ、とみんなで顔を見合わせたほどの当たりでした」

 打撃ケージのすぐ脇には、チームの先輩・吉本亮の姿があった。

「亮が仕事で熊本に来た途中に立ち寄って、村上にアドバイスをくれたんです」

 吉本亮と聞けば、すぐ思い出すファンも多いだろう。高校通算66本塁打を記録、1998年ドラフト1位でダイエー(現ソフトバンク)に入団した。投手は松坂大輔、打者は吉本といわれた逸材だ。3年夏の甲子園(平塚学園戦)では2打席連続ホームランを打った。3年春の練習試合で5打席連続ホームランも打った。村上は、亮の後を追うように熊本東シニアに入り、九州学院に進学している。

 苗字が同じ。そう、吉本亮は吉本幸夫の息子だ。

 大器と呼ばれた亮はプロ野球で才能を開花させることができなかった。13年間在籍し、ホームランはわずか1本。ヤクルトに移籍して1年目、巨人戦で豊田清からライトスタンドに放り込んだ。それが最初で最後のアーチだった。

「中学生のころを比べたら、そりゃもう、亮の方が断然上でした」

 吉本幸夫が静かに言う。中学時代は足元にも及ばなかった村上が、それからわずか8年後に快挙を達成した。

「プロに入ってからの環境が合っていたのでしょうか」

 吉本幸夫の言葉を聞いて、胸が潰れる思いに襲われた。村上の活躍は誇らしいに決まっている。だが、なぜそれが亮じゃなかったのか、その答えを父は探し続けているのではないだろうか。

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