受信料は政治家がNHKを支配するためのツールである

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 NHKの受信料制度は、吉田茂総理と当時の官僚たちによってつくられたものだ。そう指摘するのは、公文書研究の第一人者である有馬哲夫・早稲田大学社会科学総合学術院教授である。有馬氏は長年、この問題の研究を続けており、制度導入に関わったGHQスタッフから直接の聞き取りも行っている。これらの成果をまとめた新刊が『NHK受信料の研究』である。

 前回の記事では、「公共放送」という概念がきわめてあいまいである点を語ってもらったが、今回は、なぜ政権がこの制度にこだわったかを解説してもらおう。【前後編の後編】

――受信料制度は吉田茂総理が導入したと言いますが、戦前から受信料はあったはずでは?

有馬:その通りです。戦前はラジオを買った人は、受信料を払わなくてはなりませんでした。前提にあるのは、「電波は国のものだ」という考えです。だから国家が管理しなければならないという理屈ですね。

 1924年に犬養毅逓信大臣が、ラジオ放送を「公共目的」に限定して、広告を流すことを禁じ、受信料で運営することにしました。

 この時代の法律にもツッコミどころがないわけではないのですが、ただ、たしかに当時のNHKは「公共放送」をしていましたし、国民もそれを必要として望んでいました。だから誰も制度に疑問を抱かなかった。

 しかし、その後戦時体制になっていくにあたり、NHKは完全に「軍国プロパガンダ機関」になってしまったのはご存じの通りです。「公共放送」なのだから、放送も「国務に準ずる」という理屈でそうなった。結果として、戦争を推し進める機関となってしまいました。

 当然、戦後、日本を占領したアメリカはこれを問題視しました。

――そのあたりの経緯は、本にかなり詳しく書かれていますが、要するに政府との関係を切り離そうとしたということですよね。

 そうです。GHQは政府、あるいは軍部に支配されたNHKが戦前、戦中に何をしていたかをよく知っていました。大本営発表で国民をだました、正真正銘の戦犯だという認識だったのです。

 だからこそ、「放送の民主化」が必要だと考え、そのような政策を実行しました。1945年12月には、NHKの再組織を目的に、17人からなる「放送委員会」を作り、彼らに協会の運営を命じました。委員の顔ぶれは、一つの分野、一つの階層に集中しないように配慮されていました。かなり左翼系の人も含まれています。これは戦前が軍国主義的・右翼的な組織だったという認識からバランスを取ろうとしたためです。

 また、放送の民主化、自由化をねらって放送法を制定することもGHQは進めていきました。

GHQは受信料制度に反対していた

――当時、GHQの側は受信料の強制徴収などは考えていなかった、と書いてありますね。

有馬:そうです。私はGHQでこの件に関わった元民間通信局分析課長代理のクリントン・ファイスナー氏、元民間情報教育局局員のヴィクター・ハウギー氏、フランク馬場氏らから一定期間、継続的に聞き取り調査を行ったことがあります。

 彼らは受信料については「払うことができる人、あるいは払う意思のある人から徴収する」という方針だったと証言してくれました。

 敗戦直後の日本は荒廃し、住居のない人、生活が困窮した人が数多くいました。そういう人たちから無理に受信料を取る必要はありません。

 しかし一方で、そういう人たちも生活に必要な情報をラジオで得なくてはなりません。また、引き揚げ者についての情報を欲していた人もいます。

 そういう人たちから強制的にお金を徴収すべきではない、とGHQは考えていたのです。

――でも、それではNHKを運営できないのでは?

有馬:そこが日本人の多くが勘違いしているところです。実はアメリカには公共放送がたくさんあります。カーラジオを聴きながらアメリカを移動すると、広告を流さない放送局が結構あることに気付くはずです。

 これらは慈善団体や宗教団体、教育団体などが運営しています。基金や寄付をもとにしているのです。

 ファイスナー氏やハウギー氏はよく私に「公共放送とは聴取者の善意(寄付)で支えられるものだ」と言っていました。そして、メトロポリタン美術館やスミソニアン博物館を例として挙げていました。

――日本でそういう寄付による運営が成り立ったかはわかりませんが、当時のGHQは圧倒的な権力を有していたはずなのに、どうしてそういう方向に進まなかったのでしょうか。

有馬:まず、日本の官僚やNHK側は「強制すれば取れるのだから取りたい。これまで通りの規模の組織を維持していくには必要なのだから、これまでも取ってきたし、これからもそうする」と考えていたということです。

 もちろんこうした反動的な動きに対しては、GHQは反発しました。受信料制度や放送を巡ってのGHQと日本政府側との攻防はこのあと数年にわたって続きます。

「抵抗勢力」の頂点にいたのが吉田茂総理です。彼は戦前、戦中と同様に政府にとって都合のよい巨大メディアがある状態を望みました。

 吉田総理に歯止めをかけていたマッカーサー最高司令官が去ったこともあり、結局、占領体制の終結とほぼ同時期に、吉田総理はそういう状況をつくることに成功したのです。

露骨な関係性

――それによって政権に弱腰の巨大メディアが誕生した、ということでしょうか。

有馬:総務大臣が、受信料規定だけでなく、約款や経営や予算まで認可権を持っています。そのような強大な権限を持つ政府の意向がNHKに影響しないはずがありません。

 両者は常に密接な関係にあるのです。

 近年では、政権に厳しいコメントをしたキャスターらが「降ろされた」といったことがよく取り沙汰されています。これらは単なる人事異動だということですが、本当でしょうか。

 あるいは、歴史をさかのぼればもっと露骨に政治との関係が明らかになったことがありました。

 1967年に黒い霧事件で選挙の苦戦が予想されたとき、当時の佐藤栄作総理はラジオ受信料を無料にすることを公約にして、実際に無料にしました。

 また、1984年にNHKは突然、犯罪報道において、それまでは逮捕された人を呼び捨てだったのに、肩書のある人は肩書で、それ以外の人は「容疑者」と呼ぶことにしました。これは田中角栄がロッキード事件で裁かれる身となったことと関係しているという見方があります。

 一般の記者には左翼的傾向が強い人もいるのですが、組織としては完全に「上」の意向を常に意識しているのです。

有馬哲夫(ありまてつお)
1953(昭和28)年生まれ。早稲田大学社会科学総合学術院教授(公文書研究)。早稲田大学第一文学部卒業。東北大学大学院文学研究科博士課程単位取得。2016年オックスフォード大学客員教授。著書に『原発・正力・CIA』『日本人はなぜ自虐的になったのか』など。

デイリー新潮編集部

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