シンガポールで遊ぶミャンマー国軍トップの家族写真が拡散… 国民は「なぜこんなことが許されるのか」と激怒

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 国軍の弾圧を逃れ、タイに密入国。その後、自殺したものと思われるミャンマー人の遺書が、ミャンマー内で拡散されている。そこには「ご飯をください」「水をください」という悲痛な叫びが書き連ねられていた。(下川裕治/旅行作家)

 昨年、ミャンマーとタイの国境にあるタイ側のメーソートを訪ねた。街の人の話では、国境の山を歩いて越え、タイに密入国するミャンマー人は1日100人をくだらないという。国軍に追われた人たちだ。タイ側に逃げれば身は安全だが、密入国の身では働くことはできない。自殺したのはそんなミャンマー人なのか。

 2年前のクーデターでミャンマーの人たちの生活は一変した。仕事がなくなり、将来への夢も消えた。貯えもなくなりつつある人が多い。しかし生きなくてはならない。国軍に対抗する民主派の軍隊、国民防衛軍(PDF)で銃をもつか、国外脱出の道を選ぶか。

 それを見すかすかのように、1月1日、国軍はパスポートの発給を停止した。システムの更新が対外的な理由だが、

「軍事政権になると多くの若者が国外へ逃げようとする。それは国軍も織り込みずみ。パスポート発給のための賄賂で国軍幹部が儲けようとしている前兆」

 そう考える市民は多い。

パスポートをめぐる混乱は過去にも…

 ミャンマーは2011年まで軍事政権がつづいた。その後、民政化し、社会は活気づいたが2021年、クーデターで再び軍事政権に戻ってしまった。2011年までつづいた軍事政権時も多くの若者が海外脱出を試みた。そのためのパスポート取得が至難だった。500ドルを超える裏金が必要だった。その金が軍の幹部の懐に入っていった。

 当時、ヤンゴンの空港でミャンマー人の青年とパスポートを待ちつづけたことがあった。彼と一緒にバンコクまで行く手筈だった。発給を依頼した間に立つブローカーから頻繁に電話が入った。曰く「いまパスポートオフィスにいる」「職員がなかなか現れない」。結局、パスポートは届かないまま、飛行機の搭乗時刻になってしまった。僕はひとりで飛行機に乗った。あの時代にまた戻っていく気がした。

 実際、パスポートの発給申請を受け付けていた昨年12月、すでにブローカーの暗躍がはじまっていた。正規のやり方で申請するためには、ネットで申し込み、QRコードを受けとらなくてはいけない。しかしそこがうまくいかない。ブローカーに頼むしかなかった。通常手数料の4万チャット(約2600円)が100万チャット(約6万5000円)まで値あがりしていた。

 QRコードを取得しても、その先がある。連日、パスポートオフィスには長蛇の列ができていた。

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