【奥多摩バラバラ殺人】南アフリカに17年逃げていた48歳被告が「被害男性の恋人」にやらせたトンデモないこと

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被害者が書き留めていたのは……

 2003年に起きた殺人事件に関与し、事件発覚直後から南アフリカに逃亡していた紙谷惣被告(48)の裁判員裁判が、東京地裁で佳境を迎えている。紙谷被告は、飲食店勤務の古川(こがわ)信也さん(当時26)が殺害された事件で罪に問われ、彼とともに南アフリカに逃れた主犯格・松井知行は、2016年12月に現地で自殺を遂げた。事件当時、松井をトップとする「偽造カード詐欺グループ」は、古川さんとその交際相手を埼玉県戸田市のマンションに監禁し、その後、凶行に及んだ。犯人グループが最後の一線を越えた理由。それは被害者の所持品から“あるモノ”が見つかったからだった。(前後編のうち「後編」)【高橋ユキ/ノンフィクションライター】

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「松井から『古川さんの荷物を調べろ』と言われて、調べてる時、モノを見つけた……。当時の松井のグループのメンバーとか、松井が付き合ってる恋人の名前とか、電話番号とか書いてあって、後ろには『暴力追放センター』とか書いてあった」

 第4回公判の証人尋問でこう語ったのは、古川さんたちを監禁していた戸田のマンションで、松井らと行動をともにしていた女性だ。当時未成年だった彼女は、事件後に中等少年院へと送致されている。実は、古川さんは、松井らに不当な借金を背負わされ、郡山に潜伏していた頃、いざとなったら警察に相談しようと、松井グループの組織図を書き留めていたのだ。古川さんの荷物の中からそれを発見したのが彼女だった。

「それを見た松井はブチ切れてました。『やっぱり許すことできないから殺したい』と。仲が良かったメンバーのことまで書いてたり、関係のない恋人の名前まであるのが許せないって。声はかなり大きかったです。殺すというのは本当だと思った。道具を買ってこい、みたいなことになっていました」(同じ女性の証言)

 さらに古川さんの交際相手についても「やっぱりこのまま解放したら警察行くだろうし、一緒に殺すしかない」と松井は言い出したのだという。こうして古川さんと恋人は監禁され続け、ついに奥多摩で古川さんは首を絞められて殺害されることになる。

 殺害時は松井グループの面々が、車のトランクに押し込められた古川さんの首を素手やベルトで絞めた。それだけではない。あろうことか、松井らは、古川さんの恋人も犯行に加担させたのだ。拉致監禁した女性に、自らの恋人の首を締めさせる――。なぜそんなおぞましい行為を強要するに至ったのか。これは犯行直前に奥多摩で行われた話し合いのなかで、メンバーの提案を受けて決まったことだった。

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