【奥多摩バラバラ殺人】南アフリカに17年逃げていた48歳被告が「被害男性の恋人」にやらせたトンデモないこと

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「被告人は、死にたくない、生きたい、と思って帰国した」

 また、Tだけでなく、他のメンバーらも、このとき「紙谷は古川さんの体を押さえていた」と証言する。

 殺害後、遺体を切断して遺棄する行為は、松井、紙谷被告、Tの3人が行ったという。その理由をTはこう証言している。

「そこにいるメンバーの上位といえば、私と、松井と、紙谷。他の者にはさせられない。自分たちの立ち位置を考えて3人で、近くの河原で……」

 切断した遺体は奥多摩町や山梨県内で、崖に放り投げたり、側溝に投げつけたりして遺棄されている。

 当の紙谷被告は、監禁や死体損壊・遺棄については認めているが、殺人については認めていない。被告人質問でも、「殺害時の記憶がない。古川さんが殺害される様子を見たことはありません。当時、一緒に仕事を立ち上げようとしていた者から電話がかかってきた。電話に出てバンガローからキャンプ場に向かっていると、松井が歩いてきて、すれ違いざま『ヤツは死んだ』と言ってきました。そこでマジかと。正直、頭の中、真っ白でした」と語っている。

「前後の記憶はあるにもかかわらず、殺害時の記憶がないことは極めて不自然。悪質さが際立つ犯行」として検察官は紙谷被告に懲役20年を求刑。論告の前に、古川さんの母親が陳述した。

「帰国の理由を被告人は『海外での生活が苦しくなったからではなく、コロナの影響でもない』と言っていましたが、信じられません。息子を殺したことを反省し、罪の意識から出頭したというのであれば、もっと早く帰国していたはずです。被告人が今回帰国したのは、松井からの資金援助がなくなり、生活が苦しくなったからに他ならないと私は思います。要するに、被告人は、死にたくない、生きたい、と思って帰国したのです」

 そして、「死にたくない」と思っていた古川さんは殺害された。紙谷被告はどの程度、事件に関わっているのか。判決は3月に言い渡される。

 事件後、松井や紙谷被告らとともに南アに逃亡していた古川さんの交際相手は、2011年に帰国の意思を示し、のちに逮捕されたが、古川さん殺害事件では不起訴処分となっている。

高橋ユキ(たかはし・ゆき)
ノンフィクションライター。福岡県出身。2006年『霞っ子クラブ 娘たちの裁判傍聴記』でデビュー。裁判傍聴を中心に事件記事を執筆。著書に『木嶋佳苗 危険な愛の奥義』『木嶋佳苗劇場』(共著)、『つけびの村 噂が5人を殺したのか?』、『逃げるが勝ち 脱走犯たちの告白』など。

デイリー新潮編集部

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