「数式を普通の文章のように読む」 日銀新総裁・植田和男氏の天才エピソード、教え子が“酒豪ぶり”も証言

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英語の本を読みながら数キロ歩く勉強好き

 結局、官邸の秋波に最後まで首を縦に振らなかった雨宮氏。代わって白羽の矢が立ったのが、全くノーマークだった東京大学名誉教授の植田和男氏(71)だった。

 植田氏は静岡県牧之原市出身。東京教育大学附属駒場高校(現・筑波大学附属駒場高校)を卒業後、東京大学理学部を経て、同大経済学部に学士入学している。

 植田氏の叔父で牧之原市に住む植田六郎氏によれば、

「和男の祖父は牧之原市で郵便局長をやっていました。昔は郵便局に電話の交換台があった関係で、和男の父は電電公社で働くことになったと聞いています。和男は子どもの頃から東京で暮らしていました」

 中学生までは休みになると、静岡に帰省することもしばしばだった。

「和男は頭が良くてね、小学生の時はトランジスタラジオを持ってきて、それを聞きながら英語の勉強をしていました。また、親戚宅までの海岸沿いの道を英語の本を読みながら数キロも歩いていた。勉強が好きだったんでしょう」

「数学が異常にできていた」

 生まれながらの秀才は高校進学後も力を発揮した。同級生が語る。

「理数系科目では圧倒的なトップでした。特に数学が異常にできていた印象があります。高校2年生の時だったかな、同じ模擬テストを2年生と3年生合同で行ったことがあったんですが、その時に全体で3本の指に入っていました。ガリ勉というか、地頭がいいタイプですね」

 当時、陸上部に所属していたとは別の同級生の談。

「多摩川の河川敷を走る校内のマラソン大会で1位になっていました。1500メートル走も得意だったみたいです。私たちの代は例年と比べて頭の良い代で卒業生の8割は東大に進学、その他の2割も他大学の医学部に、というような感じでした」

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