「数式を普通の文章のように読む」 日銀新総裁・植田和男氏の天才エピソード、教え子が“酒豪ぶり”も証言

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「文章を読むように数式を…」

 植田氏もほかの生徒と同様に東大に進学。理学部で数学を学び、経済学部へと転じた変わり種。アベノミクスの理論的支柱で、当時、東大に在籍していた浜田宏一氏(現・米イェール大学名誉教授)のゼミに参加していたという。

 1980年に米マサチューセッツ工科大学で博士課程を修了した後、カナダの大学の助教授、大蔵省財政金融研究所の研究官などを経て、89年に東京大学の教壇に立つことになる。

 当時「植田ゼミ」1期生として、植田氏の薫陶を受けたのが、関東学院大学教授の中泉拓也氏(ミクロ経済学)だ。

 その中泉氏が言う。

「植田先生は数学ができる方で、その点では誰もかなわないのではないかと思います。例えば数式にしても、普通の文章を読むようにして読み解いてしまうんです。経済学の研究というのは、突き詰めていくと高度な数学が扱えないと難しい。ですから、数学を学んで経済学へ、というルートは自然ではあります。また、植田先生は英語も堪能。普段は寡黙なんですが、英語になるとはつらつとお話しになります」

 卒論指導は厳しかった、と続ける。

「データやエビデンスを非常に大事にする方で、詰め切れていない論点や根拠があやふやな箇所は“ここはおかしいですよ”“これはどうしてこうなるのですか”と厳しく指導されました」

バブル崩壊を予言

 印象に残っているのは、「バブル崩壊」にまつわるエピソードだという。

「私が卒論を見てもらっていた1990年はバブル崩壊直前です。日本全体がどこか浮かれている中、植田先生は“経済状況を分析するとこれはバブルだから長続きしません”と予言していました。後から“あれはバブルだった”と言うのは簡単でも、国がまるごと浮かれているときに“おかしい”と指摘するのは簡単なことではありません」

 そうした分析によるものなのか、こんな一面も。

「90年代には日本株の空売りをやっていたと本人が言っていました。結構儲かったんじゃないですかね。自分の理論を試したくなるみたいで、控えめな性格なのに空売りなんて、と驚いた記憶があります」(先の同級生)

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