初の理系出身長官が誕生! 財務省における「東大法学部卒」支配の終焉

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 今年7月の人事で、金融庁に初の理系出身長官が誕生した。1985年に大蔵(財務)省に入省した中島淳一氏だ。東大工学部在学時は計数工学科の研究室に所属し、コンピューターで図形処理するプログラミングを研究していたという。霞が関のエリート中のエリートである財務省では東大法学部卒が幅を利かし、理系出身者は大仰な言い方ながら“迫害”されてきた歴史がある。そんな中で誕生した「初の理系長官」。地殻変動が起こっているのだろうか。

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 戦後入省者で事務次官にまで上り詰めた人物は就任予定を含め36人にのぼるが、出身大学は東京大学法学部32人、同経済学部2人、京都大学法学部1人、一橋大学経済学部1人で、東大法が9割弱を占める。次官を理系出身が射止めたケースはいまだゼロだが、今回、金融庁長官にまでは理系出身が上り詰めたことになる。

 ならば、戦後の大蔵省に入省したキャリア官僚のうち、理系の学部・学科卒で、本省の局長以上のポストに就いた人物はいったい何人ぐらいいるのだろうか。

 7月に上梓された『財務省の「ワル」』の著者で、ジャーナリストの岸宣仁氏は答えをこう明かす。

「金融庁長官を3年にわたって務めた森信親氏は東大在学中に理科II類から教養学部国際関係論コースに転入しています。そういった例は省き、あくまでも最終学歴が理系であることを前提にすると、たった1人です。それも、主計、主税、理財といった主要局長ではなく、国際局長という外様のようなポジションでした」

 そのたった一人が、井戸清人元国際局長(1973入省)だ。

「ワル」の定義

 岸氏が続ける。

「同僚の誰に聞いても“明るい、社交的、理系の理の字も感じさせない”という評価がほとんどでした。理系というと“ネクラ、オタク、了見が狭い”などといった見方がついて回ることがありますが、井戸氏はその正反対の人物だということでした」

 前掲書にある「ワル」とは、いわゆる「悪人」ではなく、「できる男」「やり手」といったニュアンスで、財務省では一種の尊称として使われてきた。とはいえ、そんな「東大法卒のワル」が牛耳ってきたせいで、セクハラ次官に公文書改ざん長官が生まれてしまったとも言えるかもしれない。

 ところで、先ほど話題にのぼった森信親元金融庁長官は以前、岸氏に対し「東大法卒」についてこう言及していたという。

「森氏は、“法学部の人の発想は、今の制度を所与のものとして考え、それがどう変化するかを基本にします。それに対し、理系の人は何が一番最適なのかから入るのが常で、その点に根本的な違いがあります”と話していました。法学部をはじめとする文系卒では、激変する金融行政に対応するのは難しいと言っているようにも聞こえましたね」(岸氏)

財務省は組織として限界に来ている

 さらに森氏は「人材の再構築が迫られている」と踏み込んで、こう続けたという。

「“組織が傾き始めると、人が集まらなくなってうまく回らなくなります。財務省は組織として限界に来ているし、いや、限界を突き抜けて壊れ始めているようにも見える”と言っていました。東大法学部のトップ層は霞が関のブラックな部分を忌避し、外資金融などへ流れているという現状を踏まえたうえで、“20年後は今とまったく異なる人材になっているのではないか。そうした将来の姿をにらんだ場合、新卒採用は文系も理系ももっと混ぜ合わせて組織に多様性を持たせないと、やがて人事が回らなくなると思います”と指摘していました」

 実際、金融庁への新人採用の場面でも森氏は、「ここ何年か、全員、理系でいいからと言ってきました」とも内情を明かしていたという。

「1998年、大蔵省から金融監督庁(金融庁の前身)に移ったのは約400人。それがこの20年を経て、金融庁の職員は1600人と4倍に膨れ上がりました。このうち4分の1が中途採用で民間から来ており、文理の比率は明らかではないのですが、人材が多様化していることだけは間違いありません」

 金融庁に初の理系長官が生まれたのは、森氏の考え方が受け継がれてのことなのかもしれない。

デイリー新潮編集部

2021年8月4日掲載

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