棋王戦で先勝 藤井聡太五冠の「盤面を描かずに将棋を考える」はどこがすごいのか

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盤面を描かないのは幼少時の訓練からか

 勝利後のインタビューで藤井は、「中盤から盤面全体での戦いになり、判断に迷う局面が多かった。どういう方針で指すのか一局を通して難しかった」「良いスタートが切れたかな」などと振り返った。

 そんな藤井について、以前から不思議に思うことがある。かつて藤井は「将棋を考えている時、頭の中に何手か先の盤面が描かれるのではなく、符号で考える」といった主旨の発言をしていた。符号とは「2六歩」「3二金」「5三銀成らず」などの指し手のことだ。盤面を描かずに将棋を考えることなどできるのだろうか。

 アマチュアでも強豪クラスになると、符号だけで将棋を指すことができる。筆者が学生だった大昔、同じ大学に1979年の学生名人・瀬良司さんがいたが、「彼は将棋盤を使わずに口で言い合うだけで最後まで指している」と聞いて驚いた。とはいえ、彼とて目の前に将棋盤がなくても、頭の中に将棋盤を思い浮かべていたのではないかと思う。

 近年、AIで研究する棋士が増えたので「若手は盤面を頭に描かずに符号で考えるようになっているのか」とも思っていた。ところが、そうではないようだ。先日、大阪府高槻市で行われた王将戦第2局の大盤解説に駆け付けた時だった。壇上で解説していた稲葉陽八段(34)が藤井についてこのように話した。

「藤井さんは符号だけで考えるそうですが、僕は信じられない。棋士仲間も信じられないと言ってますよ。音楽でいえば楽譜だけ見て曲が流れてくるようなことなのかな。絶対わかんないですよね」

 若手のトップ棋士たちも基本的には盤面を頭に描いて考えるのだ。それなら藤井だけが特別な頭脳構造をしているのだろうか。

 ちょっと思い当たることがある。藤井は小学生の頃、愛知県瀬戸市の「ふみもと子供将棋教室」で腕を磨いた。この教室では、主宰の文本力雄さんが口頭で「はい、玉方は『2二玉』、『1二香車』……持ち駒は飛車と金」などと詰将棋の問題を出し、子供たちは目隠しをして盤面を見ないで考える訓練をしている。

 藤井は小学生時代に53手詰めを解き、文本さんは腰を抜かしたそうだが、盤面を頭に思い描かないのは、そうした訓練の賜物なのかもしれない。とはいえ、この教室で習った子供たちがみな、盤面を描かずに将棋の指し手を考えているとも思えない。文本さんに訊いてみた。

「目隠し将棋は、それが上達に一番効果があると自分で考えて、20年以上前の1期生から実施してきました。1手詰めや3手詰めからあります。聡太が符号で将棋を考えるというのは、直接本人から聞いたことはないけれど、子供の頃からのここでの練習の影響があるかもしれません。でも、彼の頭の中では、盤面も符号もさほど変わらないのかもしれませんね」

 プロ棋士は基本的に、IQ(知能指数)の高い人たちの集まりだ。とりわけ図形を認識する前頭葉の働きが尋常ではないほど優れているとされる。

 大昔に読んだ中平邦彦・著『棋士・その世界』(講談社)には、著名棋士を山手線のホームに立たせ、ドアからどっと降りてきた人について「メガネは何人、男は何人、女は何人ですか?」という質問をしたら、ほぼ正しく答えたとかいう逸話が記されていた。

 いずれにせよ、二十歳の天才、藤井五冠の脳の構造は、きっと脳科学者などにとっては興味深い研究テーマだろう。
(一部敬称略)

粟野仁雄(あわの・まさお)
ジャーナリスト。1956年、兵庫県生まれ。大阪大学文学部を卒業。2001年まで共同通信記者。著書に「サハリンに残されて」(三一書房)、「警察の犯罪――鹿児島県警・志布志事件」(ワック)、「検察に、殺される」(ベスト新書)、「ルポ 原発難民」(潮出版社)、「アスベスト禍」(集英社新書)など。

デイリー新潮編集部

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