現代アートの芸術祭は地域をどう開いていったか――北川フラム(アートディレクター)【佐藤優の頂上対決】

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3年後を楽しみにする

佐藤 逆に、田舎の感覚や感性は私たちの中にもあります。そもそも東京は田舎の集積地です。

北川 いまから100年前は、田舎と都市はそんなに違っていなかったのだと思いますね。だから田舎に行くと、自分の出所というか、遺伝子の部分が騒ぐような感覚を覚えます。

佐藤 来場者は、どんな方々ですか。

北川 20~30代の女性が多いですね。4割近くがリピーターだと思います。それとIT関係の会社の人たちによく会いますね。

佐藤 その分野はどんどん合理性を突き詰め、効率性を追求していくわけですから、それと同じだけ陰の部分が生じるんでしょうね。どこかでバランスを取りたくなる。

北川 美術では、AからZまでを並べ、その真ん中がMやNであることに何の意味もありません。また1と10を足して2で割ることにも意味がない。足すことも割ることも、真ん中であることも関係なく、それぞれが成立しているのが美術です。

佐藤 一方で北川さんは総合ディレクターとして、収支についても気を配らなければなりませんね。だいたい一つの芸術祭はどのくらいの予算規模なのですか。

北川 「越後妻有」だと、3年間でだいたい6億円です。うち1億円が税金で、1億5千万円が入場料収入、あとは協賛金で賄います。

佐藤 それは北川さんが集められる。

北川 ええ、多くの人が協力してくれています。赤字にすると続きませんから。

佐藤 地元への経済効果はすごくあるでしょう。

北川 やはり移動してきて、食べたり、泊まったりしますからね。2018年の「越後妻有」の時は、65億円の経済効果がありました。

佐藤 大成功ですね。これによって地域はどのように変わりましたか。

北川 一つのトピックを挙げれば、「越後妻有」では2015年の芸術祭のプロジェクトの一つとして、農業女子サッカー実業団チーム「FC越後妻有」が誕生しました。実際に選手が十日町市に移住し、サッカーをしながら棚田の担い手になっています。

佐藤 思いもよらない組み合わせですね。

北川 また「瀬戸内」の方では、開催地の一つである人口3万人の小豆(しょうど)島で400人、人口が増えましたし、男木(おぎ)島も150人から40人増え、学校が再開しました。

佐藤 大きな変化をもたらした。

北川 そうしたこともありましたが、単純に楽しいことが増えたのではないか、と思いますね。3年後にまた開催されることを、地域の方々は明らかに楽しみにしていますから。

佐藤 こうした芸術祭は、海外にはないのですか。

北川 これだけ大掛かりなものはないでしょうね。日本の田舎は、過疎ではあるけれども、いまも人間関係が濃密です。集落が密集していますから、昔からさまざまなことで共同作業をしてきた。それが背景にあるから成立したともいえます。

佐藤 「こへび隊」「こえび隊」に海外から参加する人は、この日本独自のイベントに魅了されたわけですね。

北川 彼らは、この芸術祭のやり方を自分の国に持ち帰って、自分たちの土地でやってみたいと思っているんですよ。日本が、明治から数えれば150年、あるいは戦後70年かけてやってきたことが、アジアの国々ではこの20~30年で進んだわけでしょう。田舎がどんどん変わっていった。その中で地域の生活空間や食文化など、さまざまなものを残していきたいと考える人が来ている。

佐藤 何年後かには、アジアの国々で同じようなスタイルの芸術祭が開かれるかもしれない。

北川 ええ。そうなったら、ほんとうに楽しいでしょうね。

北川フラム(きたがわふらむ) アートディレクター
1946年新潟県生まれ。東京藝術大学美術学部卒。在学中に「ゆりあ・ぺむぺる工房」設立。78年ガウディ展開催。82年「アートフロントギャラリー」開設。92年に東京の立川基地跡の「ファーレ立川」アートプランナーに就任。2000年より「大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレ」、10年より「瀬戸内国際芸術祭」総合ディレクター。

週刊新潮 2023年1月26日号掲載

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