「代理出産」はこんなに危ない! 日本人女性が「供給者」になる新たな貧困ビジネス

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明らかな「権力差」が

 現在、世界ではさまざまな形の代理出産が行われています。母体にとって比較的安全な人工授精型も復活し、オンラインでの依頼も普及しました。精子・卵子をネットで選んで代理母を依頼し、生まれた子だけ引き取りに行くといったシステムもあります。ちなみにあっせん業者が取り扱う精子・卵子では日本人のドナーのものも「出品」されています。それとともに依頼者の側も多様化し、独身の男女をはじめ男性同士のカップル、あるいは不妊症とは無縁の夫婦が第2子を望んで、また高齢者同士のカップルも増えています。実際に私は、高齢カップル以外のケースで、日本人による事例を確認しています。

 代理出産が普及すると、元々の前提は形骸化します。女性同士の「助け合い」という言葉のもとで始まったはずなのに、現状では豊かな男性のために貧困女性が、あるいは豊かな高齢女性のために若い貧困女性が体を貸すといった、明らかな「権力差」が見てとれます。それでもなお、今も名目上は「人助けのボランティア」であることを前提に行われているのです。

リベラルほど批判できない

 もうひとつ代理出産が招いた事態に、保守派の強化が挙げられます。元来は新しくてリベラルな方法と見なされていましたが、実態は伝統的な家族の再生産につながる上、近年は胚擁護派(プロライフ)、つまり中絶反対派が代理出産を擁護するようになっています。特に米国で顕著なのですが、彼らは父母の遺伝子が結合した受精卵に人格を見出しており、子として産むべきだと考えているのです。

 なぜ米国で代理出産が盛んなのかといえば、文化的に批判しづらい面があるからです。まず依頼者側の弁護士、医師、あっせん業者らが、代理母になることを「女性の選択」と主張してきた経緯がある。米国では中絶権が政治的な論点となっており、その根底には“女性は妊娠に関して自分の体のあり方を選択できるはずだ”という考えがあります。だから代理母になるという選択は、女性が妊娠に関して自ら理性的に決定できることの証しとみなされるのです。換言すれば、代理出産を否定することは女性の選択を否定し、中絶権も批判することになりかねない。米国では、リベラルな勢力ほど代理出産を批判できない状況にあるのです。

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