6代目山口組の高山若頭が、謝罪した神戸山口組の寺岡前若頭に伝えたこととは?

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3人の若頭補佐を従えて

 12月20日、神戸山口組の前若頭で侠友会(旧本部:兵庫県淡路市)の寺岡修会長(73)が、6代目山口組側に謝罪を行った。現場では何が語られたのか。元山口組系「義竜会」会長で、暴力団組員の更生を支援するNPO法人「五仁會」主宰の竹垣悟氏に実情を解説してもらった。

 午前11時16分に新横浜駅に新幹線で到着した寺岡前若頭。一方で、山口組の高山清司若頭(75/3代目弘道会総裁)はひと足先に稲川会館に到着していた。

 稲川会館で寺岡前若頭と向き合った6代目側は、高山若頭に加えて竹内照明若頭補佐(63/3代目弘道会会長)、藤井英治若頭補佐(76/国粋会会長)、そして薄葉政嘉若頭補佐(65/11代目平井一家総裁)だった。

「謝罪した寺岡前若頭に対して高山若頭は、“組織に対して不満を溜め、それを爆発させても決して上手く行かない。それは歴史が物語っているところだ。改めてそれを噛みしめているのではないか”などと、言い含めたということでした」

 と、竹垣氏。

 その後、3名の若頭補佐は席を外し、約40分にわたって高山若頭と寺岡前若頭とが2人きりで話をしたという。

約40分は2人きりで

「会談の中身はなかなか判然としませんが、それなりの時間を共有したところを見ると、寺岡前若頭のこれからのことや昔のことについて語り合ったのではないでしょうか。寺岡前若頭は、5代目山口組の宅見勝若頭にヒットマンを向かわせた中野会の中野太郎会長に引退の引導を渡した張本人でもありますからね。そういった思い出話に花を咲かせたのではないでしょうか(同)

 寺岡前若頭が稲川会館を退出する際には、高山若頭が見送りに出て、寺岡前若頭も深々と頭を下げるなどして、新横浜駅に向かったということだった。

「寺岡前若頭は侠友会の解散届を地元の南あわじ署に提出しようとしたのですが、メディアなどが押しかけていたため、福良交番に兵庫県警の担当者が出向き、解散届を受け取ったとうことでした」(同)

 寺岡前若頭は引退し、侠友会の組員は6代目山口組傘下の2代目竹中組(本部:兵庫県姫路市)に移ることになるのではと取り沙汰されているが、

「実は今回の面会の際に、寺岡前若頭から“俠友会の若い衆を2代目竹中組に(移籍させたい)”と持ち掛けたそうですが、高山若頭が“こういった席でするような話ではない”とさえぎったということでした。実際に竹中組に移籍するかは現時点では明らかではありません」(同)

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