「サッカーW杯の快挙」が「野球界の喉元」に突き付けたもの 「野球界」はサッカーに学び、変革できるか

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 サッカーW杯、日本代表の勝利に日本列島が沸いた。ドイツ、スペインという優勝経験のある二ヵ国に勝ったのは大きな進展だ。今回の2勝はつくづく、日本サッカー界がJリーグ発足を起点に並々ならぬ決意で改革と挑戦を続けて来た、その成果だと感じている。海外に出れば、大半の国でサッカーは人気随一の国民的競技だ。ところが、日本国内では野球が圧倒的な人気スポーツで、サッカーの日本リーグ時代には1000人単位の観客しか集まらなかった。Jリーグ発足前はラグビーの観客動員にも遥かに及ばなかったのである。

30年の時を経て

「日本代表が外国に行けば、飛行機に迎えの車が横付けで、そのままパトカー先導でホテルに入ることだって当たり前にあるんだ」と、後に日本サッカー協会会長にも就いた人が話してくれた。野球偏重の日本の常識がおかしい、「世界ではサッカーなんだ」と。Jリーグが発足した当時も今も、サッカー関係者はほぼ誰一人、「野球人気を転覆させる目的でJリーグを創った」とは公言しなかった。それを言ったら反感を買うし、また当時、本当に日本で野球よりサッカーが人気スポーツになるとは、誰も想像できなかったため、ためらいもあったかもしれない。それを言ったら、大言壮語になってしまう。だが、親しい人間同士の席で話せば、Jリーグを創った中心人物たちは「必ず野球人気を逆転してみせる」という野心と反骨心を燃やしているのは明らかだった。

 そして、30年を経て、日本の人気ナンバーワンスポーツはサッカーになった。競技人口はすでにサッカーが野球を上回っている。それを果たせたのは、単にJリーグを創ったからでなく、日本サッカー協会の傘の下、日本のサッカー・ムーブメントを一元管理し、競技や組織運営の表裏にまで細やかな配慮と魂を注ぎ込んだ努力の結晶だった。サッカーには「世界」というお手本が先にあり、まずはそれに学び、真似をするだけで遥かに野球を凌駕できるというアドバンテージもあった。

消滅の危機

 いや野球にも、MLBという巨大人気ビジネスの模範がある。ところが、なぜか日本のプロ野球界は既得権益の維持に執着し、ここ30年の間に大きな後れを取った。野茂英雄投手がアメリカに渡ったのはJリーグ開幕の2年後だ。その当時、日本のNPBとMLBの年間市場規模はいずれも約1500億円でほぼ同等だったという。MLBは、ストライキの影響で深刻な打撃を受け、対応を間違えれば消滅の危機感さえ漂っていた。その危機感で全チームが結束し、コミッショナーを中心とする経営体制を再構築した。その結果、今や1兆円を超えるとも言われる事業規模に発展した。最近も、吉田正尚、千賀滉大らが次々に100億円を超える金額でMLBチームと契約したニュースが流れた。

 NPBとなぜこれほどスケールが違うのかと驚くばかりだが、野茂のドジャース入り当時、これほどの差がなかったと知れば野球ファンは何を感じるだろう。実際、マイナー契約だったとはいえ、野茂の最初の年俸はわずか980万円だったと言われている(契約金は約1億7000万円)。変貌を遂げたMLBの経営ビジョンにNPBも学ぼうとするだけで大きな改革が期待できるのに、ほとんどしてこなかった。その結果が、日米格差であり、サッカーの後塵を拝する現状を招いてしまった。

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