石原裕次郎の最後の言葉、一晩3400万円のギャラだった歌手は? 「ニューラテンクォーター」元社長が明かす知られざる舞台裏

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5千万円をカバンに現金で入れて…

生島 あの時代に海外からミュージシャンを呼ぶのは大変だったと思いますが、どんなご苦労がありましたか。

山本 毎回、本当に来日してくれるか不安でしたね。だから最初にギャラの半額を支払い、残りは出演後に支払っていました。また飛行機にちゃんと乗ったのか確認するため、キョードー東京がアメリカに事務所を置いた。「いま飛行機に乗りました」と連絡がくるのですよ(笑)。また永島さんに頼まれて、アメリカの芸能事務所に5千万円ほど預けていました。彼らにしてみたら、東洋の名の知れないクラブなど信用できない。だからお金を置いて信用にしたんです。まだ外貨の枠が決まっている時代で、銀行送金できませんから、カバンに現金を入れて持って行きました。

生島 山本さんも出演交渉でアメリカに行かれたことがあるのですか。

山本 店のパンフレットを持って、ニューヨークやロサンゼルスの芸能事務所に行きましたよ。エルヴィス・プレスリーとも交渉しました。

生島 サラッとおっしゃいましたけど、プレスリーにお会いになったんですか。

山本 会いましたよ。ラスベガスのホテルで直接本人と交渉しました。本人は前向きだったのですが、スケジュールやギャラで折り合えず、最終的にマネージャーが首を縦に振らなかった。プレスリーの仕事を全部取り仕切って“パーカー大佐”と呼ばれた強欲マネージャーがいたんですよ。今年公開になった「エルヴィス」という映画では、トム・ハンクスが演じています。

ピンク・レディーに北島三郎、西城秀樹

生島 ニューラテンクォーターには、客としても海外のセレブたちがたくさん訪れていますね。

山本 ショーン・コネリー、ハリソン・フォード、ロバート・デ・ニーロ、ロバート・レッドフォードなどのハリウッドの大スターや伝説のボクサー、モハメド・アリ、そしてフランク・シナトラも来店してくれました。残念ながらシナトラは歌ってはくれませんでした。

生島 外国人タレントだけでなく、日本の大物歌手たちも舞台に立っていますね。

山本 日本の音楽界で活躍したほとんどの方が出演しています。雪村いづみ、江利チエミなどの大御所から、越路吹雪、松尾和子などの本格派、中尾ミエ、伊東ゆかり、園まりのナベプロ3人娘。そして和製R&Bの女王、和田アキ子のステージも素晴らしかった。大人のムード漂う朝丘雪路も人気が高かったですね。異色なのはピンク・レディーです。1970年代に人気絶頂の彼女らを思い切って呼んだのですが、大反響でした。

生島 男性陣はどうですか。

山本 演歌系では北島三郎、橋幸夫、千昌夫、五木ひろし、森進一。ポップス系では西郷輝彦、布施明、尾崎紀世彦、デューク・エイセス、さらにアイドルだった西城秀樹も大人の歌を披露してくれました。社長だった私が言うのもおかしいですが、海外のビッグスターが出演していたニューラテンクォーターで歌うことは、日本の歌手たちにとっても大変な憧れだったと思います。

生島 それはそうでしょうね。

山本 なかでも森進一さんは、私が事務所とのトラブルを仲裁したことを恩義に感じ、毎年稼ぎどきのクリスマスシーズンに、他の仕事を断ってニューラテンクォーターに出てくれました。その際、司会を務めていたのは、若き日の綾小路きみまろでした。私は森さんが女優の大原麗子と結婚した時は、結婚式に招待されましたし、離婚する時も真っ先に連絡がありました。その後、大原麗子は難病を発症、自宅で孤独死したと聞いた時は、とても寂しい気持ちになりましたね。

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