石原裕次郎の最後の言葉、一晩3400万円のギャラだった歌手は? 「ニューラテンクォーター」元社長が明かす知られざる舞台裏

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流暢な日本語で歌った、ナット・キング・コール

生島 ショーの楽しみ方も分からなかったわけですね。山本さんの印象に強く残っているミュージシャンは誰ですか。

山本 大物歌手なら、まずナット・キング・コールですね。彼は日本到着後の多忙なスケジュールの中、早朝から夫人同伴で孤児院施設を慰問するなど、妻思いの慈善家でした。私がローマ字で書いた「慕情」の歌詞を一晩で覚え、翌日のステージで「恋の花咲けば、やるせない想いは火と燃えて」と流暢(りゅうちょう)な日本語で歌い、拍手喝采を浴びました。まさに“アンフォゲッタブル”な歌手でした。

生島 彼の不朽の名盤「Unforgettable」のごとく、ですね。

山本 パティ・ペイジも想い出深いですね。彼女の歌った「テネシー・ワルツ」は、高校生の私が初めてアメリカ音楽に興味を持つきっかけとなった曲です。生の「テネシー・ワルツ」を聴くのは、私の夢でした。リハーサル時、彼女からホールに降りてお客様の間を歩きたいという提案がありました。まだいいワイヤレスマイクのなかった時代ですが、音響の工夫をして何とか実現させました。まばゆい光の中、白いドレス姿のパティ・ペイジが歌う生の「テネシー・ワルツ」を、夢心地で聴きましたね。

2時間でギャラは3400万円

生島 アール・グラントは力道山の仲介だったとか。

山本 プロレスの興行で渡米した力道山が、アール・グラントのステージに感動して、わざわざ私に国際電話をかけてきたんです。「俺が話をつけて彼を呼ぶから、ラテンでやらないか?」と。それで彼の経営するリキ・プロの招聘で来日が実現しました。ハモンドオルガンやピアノを弾きながら歌って踊る躍動感にあふれたパフォーマンスは素晴らしく、大映の永田雅一社長が連日、俳優や女優さんを連れて来店してくれたのを覚えています。

生島 出演者はその他、ザ・プラターズ、ルイ・アームストロング、サミー・デイビスJr.、ジュリー・ロンドン、ベニー・グッドマン、ヘレン・メリルなど名前を挙げるとキリがありませんが、最大のイベントというと何でしょうか。

山本 やはり開店15周年を記念して行ったトム・ジョーンズのショーですね。当時、ラスベガスでもっとも人気があった彼を呼び、昭和48(1973)年2月21日に一夜限りのショーを行いました。2時間のステージの出演料は10万ドル、日本円にすると3400万円という破格のギャラでした。一夜の最高額としてギネスブックにも記載されました。その日のカバーチャージはお一人12万円。当時の平均的な月給が6万円です。それでも興行的には成り立ちませんでした。でも日頃のお客様への感謝の気持ちを込めて、採算度外視で決行したのです。

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