「力道山が刺された直後に私に放った言葉は…」 現場となった「ニューラテンクォーター」元社長が真相を語る

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力道山刺傷事件の現場「ニューラテンクォーター」 知られざる舞台裏を元社長が語り尽くす(前編)

 贅(ぜい)を尽くした内装に最高級の音響、そして海外から招かれた一流ミュージシャンたち。昭和34年12月、東京・赤坂に誕生した「ニューラテンクォーター」には皇族から政財界の大物、ヤクザまでが足繁く通った。オーナー社長だった山本信太郎氏が、生島ヒロシ氏を相手に「力道山刺殺事件」の裏側などについて語り尽くした。

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